山形県南部・置賜(おきたま)地域は豪雪地帯かつ山深く、暮らしの中に人々の知恵や工夫により独特の文化が花開いたエリア。ここは明治初期、英国人女性旅行家として活躍したイザベラ・バードが旅し、のどかな景観や農村の暮らしを目にして"東洋のアルカディア(桃源郷)"という最高の賛辞を贈った場所でもあります。日本のあるべき姿が今に生きる置賜の魅力に迫ります。
画像: あなたの知らないディープ山形 ~次世代に伝えたい「本当の日本」が残る山形・置賜

西村 愛
2004年からスタートしたブログ「じぶん日記」管理者。47都道府県を踏破し、地域の文化や歴史が大好きなライター。
島根「地理・地名・地図」の謎(実業之日本社)、わたしのまちが「日本一」事典(PHP研究所)、ねこねこ日本史でわかる都道府県(実業之日本社)を執筆。サントリーグルメガイド公式ブロガー、Retty公式トップユーザー、エキサイト公式プラチナブロガー。

イギリス人イザベラ・バードも見た置賜の豊かな暮らしと自然

明治11(1878)年5月、ひとりの外国人が日本の地に降り立ちました。彼女は英国人女性のイザベラ・バード。日本横断旅行を行った旅行家です。22歳から69歳まで南米大陸以外の全大陸を旅し、出版・講演活動に力を注いだ世界でも有名な女性旅行家といえる存在です。

横浜から日本入国を果たした彼女は北関東から会津を抜け、新潟から数多くの峠を抜けて置賜地域を訪れました。バードはこの時に置賜・米沢平野のことを「東洋のアルカディア」と評しました。「アルカディア」とは古代ギリシャの地域名で、想像上の楽園=理想郷を指す言葉。実り豊かな大地を見、美しさと恵まれた自然環境を持つ置賜地域にバードは西洋のエデンの園を重ね合わせていたのです。
世界中を見てきた彼女の感性と教養、鋭い観察眼、真実を見つけたいと思う知的好奇心は並外れたもので、人々の暮らしや文化的活動を強い探究心を持って解き明かし、これらを旅から戻った2年後に「unbeaten tracks in japan」にまとめました。これを最初に翻訳したのも置賜地域出身の英語学者である高梨健吉で、「日本奥地紀行」という書名で出版されています。

江戸時代に米沢⇆新潟の往来、物資運搬などのために整備された「黒沢峠」の石畳もバードが通った道でした。現在も「黒沢峠の敷石道」として、地元の人たちの保全活動により整備が続けられています。当時の装備で一体どうやってこの山道を進んだのか…少し考えるだけでもバードの苦労が偲ばれます。
南陽市赤湯にある「十分一山」から眼下に見渡せる美しい置賜盆地。この絶景はバードもきっと心の高ぶりを覚えたに違いありません。険しい山道を越えて山形入りしたバードがほっと一息ついた赤湯温泉は、今も豊富な湯量と良泉質で旅の疲れを癒してくれます。
彼女が旅した約150年前の行路は今の時代に史跡として完全な形で見ることはできませんが、当時と変わらないであろう日本らしい美景に触れるたび、バードと同じく旅する者として共感せずにはいられませんでした。
置賜地域は穏やかで旅する人にやさしく、バードが感じた田舎らしく素朴な農村風景をたくさん見せてくれました。

黒沢峠敷石道

住所山形県西置賜郡小国町黒沢
URLhttps://yamagata-oguni-shiroimori.jp/tourism/pavement-in-kurosawa-pass/

赤湯温泉

住所山形県南陽市赤湯754-2
電話0238-43-3114
URLhttps://www.akayu-onsen.com/ (赤湯温泉旅館協同組合HP)

十分一山

住所山形県南陽市赤湯地内
URLhttps://yamagatayama.com/hyakumeizan/no-090/

自然に学び、山と共生する生き方を貫くマタギの世界を体験する

雄大な飯豊連峰の懐に抱かれる小国町には「小国マタギ」と呼ばれる、熊と人とのちょうど間で自然と共生しながら生きる人たちがいます。現代にもその伝統を守り、マタギの文化を伝えています。

マタギは主に北東北に住む猟師のことを指し、藩に認められた上で狩猟を行っていた人たち。いつしか山形にもその生き方が伝わり今に至っています。小国町のマタギはその起源は定かでないものの、およそ400年前からこの地に存在していたと考えられています。
現代のマタギは里に住み、農業などを中心的な生業にしながら狩猟時期になると山へ入って狩猟を行うという生活を行っています。マタギは生活の糧となる狩猟を行うと同時にマタギ世界における儀礼と狩猟の方法、また奥深い精神世界を伝承していくことが務め。それは趣味や娯楽として行われるスポーツハンティングとは全く違うものです。

マタギにとって山は神聖な場所です。自然の中に足を踏み入れ山の神に近づくという行為なので、山中でしか使わないマタギ言葉であったりふるまいであったり、祈りであったりといった"作法"があり、これらは代々口伝により継承されています。
マタギにとっての熊は狩る対象である一方で、神からの恵みであり大切な存在。祈りとともにそれを食することも供養のひとつで、毛皮や内臓、脂など余すところなく使うことで自然に対する敬意を表します。

ちなみに小国町は新潟県との県境にあり、豪雪地帯として知られています。前章のイザベラ・バードは新潟からいくつもの峠越えをし置賜地域に最初に足を踏み入れたのがここ小国でした。バードは夏にこの地を訪れていますが現代でも小国は2.5メートルほどの積雪がある場所で、冬であれば彼女は到底山を越えることはできなかったでしょう。
さて話をマタギに戻します。
現在小国マタギは20代から80代までの80~90人。時代も変わり昨今では人の怖さを知らない熊が里に下り人に被害を加えることも増え、問題視されています。マタギは山と人間界との境界で、我々の生活圏に熊が入ってこないよう"守り人"としての役割を果たしてくれているのです。
小国町ではマタギ一家が運営する宿や飲食店を利用することができます。季節には山菜やきのこ、栗、そして熊鍋などをいただきながら、マタギならではの暮らしにちょっとだけお邪魔する感じ。
マタギの暮らしぶりは自然の大切さも恐ろしさも優しさも、全てを語りかけてきます。決して無理をせず自然の中に溶け込むような暮らしが、言葉はなくとも伝わってきました。
そんな暮らしを横で見ているだけで、私たちが普段いかに人間本位な考えで生きているのかを痛感させられます。自然に寄り添い自然の移ろいに身を任せ、感謝しながら自然を"授かる"。私たちは自然に生かされている存在だと気づかされる貴重な体験になりました。

民宿奥川入

住所山形県西置賜郡小国町小玉川576
電話0238-64-2263
URLhttps://yamagata-oguni-shiroimori.jp/tourism/minnshuku-okukawairi/

民宿の越後屋

住所山形県西置賜郡小国町小玉川456
電話0238-64-2430
営業時間11:00~15:00(食堂)
定休日なし
URLhttps://yamagata-oguni-shiroimori.jp/tourism/minnshuku-no-echigoya/

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