さらに、花火をより楽しめるよう、その歴史や種類についても徹底解説。花火大会に出かけたいと考えている方はぜひチェックしてください!
花火の歴史
2023年注目の花火大会についてご紹介しましたが、花火観賞を知識的な視点からも楽しむべく、花火の歴史や種類、構造について知ってみるのはいかがでしょうか。
花火は、法律用語では「煙火(えんか)」と呼ばれ、火薬などを燃焼・爆発させることで、光・音・煙などを発生させるものを指します。花火の種類は大きく分けると、いわゆる打ち上げ花火に分類される「煙火」と、家庭などで一般的に楽しまれる「がん具煙火」の2種類です。
まずは、そんな花火の歴史について見ていきましょう。
花火の起源
花火の歴史は、花火に使用されている火薬の一種、「黒色火薬(こくしょくかやく)」の発明が始まりだとされています。黒色火薬の起源には諸説ありますが、中国・紀元前の錬丹術(不老不死になれるという丹薬を作るために試みられていた術)という説が有力です。
丹薬には金が含まれており、金を作り出すための錬丹術を行う中で、黒色火薬のもとになる硝石(しょうせき)が偶然発見されたといわれています。それから硝石は、火薬のような用途で用いられるようになり、現代でも火薬の原料として使われています。
12世紀になると、硝石に木炭や硫黄を混合した黒色火薬が発明され、黒色火薬を紙に巻き爆発音をさせるという爆竹も登場し、慶事に用いられてきました。この爆竹がいわゆる花火の発端とされ、その後、爆竹は中国からシルクロードを通り、イスラム諸国を経由し、ヨーロッパへ伝わったと考えられています。
14世紀頃には、イタリアやイギリスなどのヨーロッパ諸国において、観賞用の花火が作られるようになります。イタリア・フィレンツェでのキリスト教のお祭りで使われたことを契機に、都市の発達とともにヨーロッパ全土に花火が伝わりました。
そして、1830年代になると、イタリア人によって金属と火薬を組み合わせて、色がついた花火が作られ、これが現代の色鮮やかな花火につながったと考えられています。この頃から花火大会が開催されるようになり、デザインや色、音や大きさなどが競われていました。
日本への伝来
日本には戦国時代(16世紀)に、黒色火薬が火縄銃とともに伝来しました。
日本での娯楽としての花火は、天正17年(1589年)に米沢城で伊達政宗が見たという記録があります。当時の花火は、竹筒から火の粉が噴き出すという、現代でいう噴き出し花火に似たものでした。この花火は、中国・明の人が披露したといわれています。
慶長18年(1613年)には、駿府城で徳川家康が花火を見たという記録もあります。同じように中国の人が披露したものでしたが、一緒に鑑賞していた砲術隊が三河(現在の愛知県)に技術を持ち帰りました。江戸時代に火薬を扱うことを許されていたのは三河鉄砲隊のみということもあり、三河で花火が発展し、三河が花火発祥の地となります。
寛永5年(1628年)には、天台宗の僧である天海が浅草寺を訪れたときに、隅田川の船遊びで花火を楽しんだことが記録されています。それ以降、江戸の隅田川下流にある大名下屋敷などで武士の花火が披露され、人気を呼んでいたことがわかっています。
花火大会の始まり
江戸時代には花火が流行し、庶民にも花火の文化が広がっていきました。しかし、花火による火災が頻発するようになり、花火を行っていい場所は隅田川河口付近での船上花火に制限されましたが花火の流行は止まりませんでした。
そんな中、万治2年(1659年)に隅田川にかかる両国橋が完成したことで、周辺が花火の名所に。18世紀に入ると船遊びで花火を楽しむ文化が定着しました。そして、両国川開き花火が1800年代に発展して江戸の年中行事になったことが、夏の花火大会のルーツとされています。
江戸時代、日本は数度の大飢饉に襲われました。亡くなった人への慰霊や悪霊退散の願いを込めて花火が打ち上げられたことも、花火大会の由来といわれています。
また、この頃に活躍した花火師が鍵屋弥兵衛や玉屋市郎兵衛でした。打ち上げ花火での「たまや」「かぎや」という掛け声は、彼らの名前が由来になっています。以上が、花火と花火大会の歴史です。
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