リット"に満ちたハートフルな大会として、どなたでも参加しやすく、誰でも楽しんでいた
だける大会を目指しています。時間制限がないことや10kmの距離も用意されていることな
どから、ランニング初心者でも参加しやすく、障がいのある方もご参加いただけます。
本記事では、病気により車いすでの生活を送る母と、知的障がいのある弟と過ごす岸田奈
美さん一家がホノルルマラソンに挑戦した様子をお届けします。
走ってもないのに、岸田一家はやりきった表情をしている。
ちょっとずつ前へ進み、5時37分、スタートラインを切った。
「おっ」
走っている。弟が、走っている。
やったー!よかったー!
張り詰めていた緊張がブワッと解けた。
あたりはまだ暗い。
夜明けを迎えに行くように走るのだ。飛行機みたいに。
さあ、行くぞ!
岸田一家、ファイヤー!
「……あれっ」
弟の姿が消えた。
座って、休んでいた。
まだ1キロも走ってないのに。
「こらこらこらこら!」
走って、引き返した。
ただでさえしんどいマラソンで、なぜにわたしは引き返さねばならんのか。
弟を引き連れて、走りなおす。
しかし。
弟ははるか後方で、座り込んでしまう。
「良太、大丈夫―?」
母が叫ぶ。
弟が走った。極端に走った。
だめだ。
マラソンを短距離走かなんかと、勘違いしてやがる。
案の定、すぐにバテて、また動かなくなる。
わたしは、頭を抱えたくなった。
ハワイまで来て、走らないやつがいるなんて。いや、彼ならやりかねないけど、それでも
、みんな走ってるんだから、走ると思っていた。
その時、反対側の道路から、すごい歓声が聞こえた。
なんと、トップランナーたちがすでに折り返してきたのだ。あまりの速さに目を疑った。
風のように走り去っていった。
わたしたちはと言えば。
参加者3万人中、すでに3万人目。
ドンケツのビリだ。
途端に、怖くなった。恥ずかしくなった。
どうしよう。ゴールできないかもしれない。
せっかく、ハワイまできたのに。
わたしたちのこと、応援してくれる人もいるのに。
このまま、のろのろ歩くなんて。
「良太、すごーい!かっこいい!」
母が手をメガホンのようにして、弟に声援を送っている。弟はまんざらでもなさそうに立
ち上がった。
まさか……。
「おだてよう!それしかない!」
褒められるのが大好きな弟のことを、さすが母はよくわかっている。でも本当にそれで、
なんとかなるんだろうか。不安でしかない。
空が白み始めてきた。
夜が明けてしまった。
さっきまでの歓声も音楽も、もう聞こえない。
止まったり、歩いたりして、やっと3キロ地点にたどり着いた。
ホノルルマラソンは、沿道の応援がすばらしいと聞いていたけど、誰もいない。とても静
かで、とても悲しかった。わたしたちは遅すぎたのだ。
その時、遠くから音楽が聞こえた。
給水所のボランティアさんたちが、大歓声で迎えてくれた。
待っててくれたんだ!
「ガンバレー!」「You can do it!」と、日本語も英語もごちゃ混ぜになった声援を、紙テ
ープみたいにポンポン投げてくれる。背中を叩いてくれる。
落ち込んでいた気分が一気に上向いた。夜明けより、本当の夜明けみたいだった。
「わっ」
母が驚いた。なにかと思えば、弟が母より前を歩いていた。
28年目にして、初めて見たフォーメーションだ。
他人からすれば当然で、我が家からすれば奇跡が起きた。
これは、いけるかもしれない。
スタートから2時間半が経過。
歩いて、歩いて、4キロ地点。
大半の人たちはもうとっくにゴールしている。
ついに交通規制が解除されてしまった。
車が道路を走り出すので、わたしたちは歩道に上がる。
まめに立ち止まり、地図を確認しながら、進んでいく。
足が痛い、と弟が座り込んだ。
こんな距離を歩くのはすでに初めてのこと。
体にもガタがくる。
車輪をこぐ母の手も、固いマメができはじめた。
もんで、さすって、なんとかかんとか、だましだまし行くことにする。
5キロ地点。半分まできた。
思わず、笑顔がこぼれる。
「やったー!おわり!」
弟が両手を振りあげた。
「まだ終わりちゃうで」
諭すと胸が痛んだが、正直、もう終わってしまうだろうなと思った。最初の絶望感に比べ
たら、折り返し地点まで来れたというだけで、途方もない安堵感がある。
ここからはもう、どこでリタイアしてもおかしくない。
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