末げん(新橋): 三島由紀夫が最期まで愛した鳥割烹

末げん
1909年(明治42年)に新橋で創業した鳥料理店「末げん」。数々の文化人・著名人に愛されたこの店の顧客には、日本初の本格的な政党内閣を組織した原敬(1856〜1921年、第19代内閣総理大臣)、大正・昭和初期に活躍した歌舞伎役者の第六代目尾上菊五郎(1885〜1949年)といった名だたる人物が名を連ねます。

店内には過去の写真が飾られている。こちらは大正11年、お店の前で撮影されたもの
この店に通った多くの著名人のなかでも有名な逸話を持っているのが、『金閣寺』『潮騒』『憂国』など日本文学の金字塔を多く発表した三島由紀夫(1925〜1970年)。1970年に自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省)でクーデター未遂事件を起こして自決する前夜、三島は「末げん」で最後の晩餐となる食事をとりました。その際に彼が食したといわれるのが、「軍鶏鍋のコース」。

三島が好んだというとり鍋
三島が最後まで愛したその鶏ガラスープは、いまも変わらぬ味で提供されています。
末げん | ||
---|---|---|
営業時間 | : | 11:30~13:30、17:30~22:00 |
定休日 | : | 日曜・祝日(土曜日は不定休) |
住所 | : | 〒105-0004 東京都港区新橋2-15-7 Sプラザ弥生 |
神谷バー(浅草): 数々の文学作品に登場する「電気ブラン」のルーツ。今昔の作家に愛される浅草のバー
神谷バー
浅草1丁目1番地に位置する「神谷バー」。ここは日本で初めて「バー」という言葉を名前に用いたお店だと言われています。
1880年(明治13年)の創業当時は「みかはや銘酒店」という名前で、酒の一杯売りを行なっていたそう。1912年になると、店舗の内部を西洋風に改造し屋号を「神谷バー」と改め現在のスタイルになったといいます。

歴史あるお店ながら店内は清潔感が保たれている
このお店を語るうえで欠かせないのが、創業者・神谷傳兵衛が発明した「電気ブラン」。これはブランデーをベースに数種類のお酒を絶妙なバランスで配合したカクテルです。名前は、当時最新のイメージを持っていた「電気」という言葉に、ブランデーの「ブラン」を合わせたことが由来だとされています。また、まるで電気が流れるように舌を刺激する飲み味も、「電気ブラン」の名前が定着した理由のひとつ。
およそ100年に渡り親しまれる電気ブラン
そんな斬新なネーミングをもつカクテルである「電気ブラン」には、今昔の文学者たちが注目してきました。太宰治の小説『人間失格』に「酔いの早く発するのは、電気ブランの右に出るものはない」という一節がありますが、当時の電気ブランはいまよりもアルコール度数が高いものだったそうです。
また、2017年に映画化された森見富美彦の小説『夜は短し、歩けよ乙女』でも「偽電気ブラン」というカクテルが登場し、若者のあいだでも神谷バーが話題になりました。浅草の地を訪れた際は、是非ここでハイカラな気分を味わってみてはいかがでしょうか。
神谷バー | ||
---|---|---|
開館時間 | : | 11:30~20:00 |
定休日 | : | 火曜日 |
住所 | : | 〒111-0032 東京都台東区浅草1-1-1 |
web | : | http://www.kamiya-bar.com/ |
DUG(新宿): 寺山修司や村上春樹が愛した、伝説的ジャズバー

DUG
1960年代から1970年代にかけて一大ブームとなったジャズ喫茶。そのなかでも伝説的な人気を誇るのが、新宿の名店「DUG」です。ブーム最盛期となった1960年代には寺山修司(1935〜1983年)、中上健次(1946〜1992年)といった文化人たちが次々と訪れていたんだそう。ちなみに「DUG」のロゴはデザイナーの和田誠氏によるもの。

和田誠氏が手がけたロゴ入りのマッチ
また、村上春樹の小説『ノルウェイの森』(1987年)では、「DUG」が主人公・ワタナベが大学の女性との待ち合わせ場所として登場し、「ウォッカ・トニック」を二人で飲むシーンが描かれています。お店の代表的なメニューであるカクテルを小説に登場させる点から、ここが村上春樹氏にも深く愛されていることが伺えます。「DUG」に足を運んだときは、ぜひウォッカ・トニックを注文し、村上春樹氏の物語の世界に浸ってみてはいかがでしょうか。

店内で流されるジャズCDの一部。リクエストも可能
ちなみに、この店の創業者である中平穂積氏は、日本を牽引するジャズ写真家。1961年のアート・ブレイキー(1919〜1990年、ジャズドラマーの大御所)の撮影を皮切りに、「ジャズの帝王」という異名を持つマイルス・デイビス(1926〜1991年)など、数々のジャズ・ジャイアンツと呼ばれる巨匠をカメラにおさめています。店内には中平氏が撮影した写真が壁に飾られており、雰囲気満点です。写真集やポストカードも販売されているので、新宿を訪れた際は1度足を運んでみては。

DUG店長・中平穂積さん撮影のポストカードが販売されている
DUG | ||
---|---|---|
開館時間 | : | 12:00〜2:00(日・祝 12:00〜23:30) |
定休日 | : | 無休 |
住所 | : | 〒160-0022 東京都新宿区新宿3-15-12 |
web | : | http://www.dug.co.jp/main.html |
カフェーパウリスタ銀座本店(銀座): 芥川龍之介や谷崎潤一郎が通った、喫茶店のパイオニア

カフェーパウリスタ
日本人のブラジルへの移民契約を初めて手がけ、「移民の父」と称された水野龍(1859〜1951年)が、大隈重信(1838〜1922年、第8・17代内閣総理大臣)らの助けを借りて設立したのが「カフェーパウリスタ」。ブラジルサンパウロ州政府専属のコーヒー発売所として1910年(明治43年)に開業しました。まだコーヒーを喫茶店で飲むという文化がなかった明治時代に、「カフェーパウリスタ」は日本にカフェ文化をもたらしたと言われています。銀座の街をぶらぶら歩く「銀ブラ」という言葉は、学生たちがここでブラジルコーヒーを飲む行為を指していたという説も。

店内にはジョン・レノンとオノ・ヨーコ夫妻のお気に入りだったという席も残っている
「カフェーパウリスタ」の開業当時は、制服を身にまとった15歳以下の給仕たちがコーヒーを提供しており、その異国風の雰囲気が人々の話題になりました。大正時代になると、芥川龍之介(1892〜1927年)、谷崎潤一郎(1886〜1965年)など数々の作家が議論の場として通い、文化活動の拠点として特有の磁場を放っていたと言われています。銀座でのショッピング帰りに、一息入れるならここで決まりですね。

カウンター席のある二階はまた違った趣がある
カフェーパウリスタ銀座本店 | ||
---|---|---|
営業時間 | : | [月~土] 8:30~21:30、[日・祝] 11:30~20:00 |
定休日 | : | 年中無休(年末年始を除く) |
住所 | : | 〒104-0061 東京都中央区銀座8-9-16 長崎センタービル1F |
web | : | https://www.paulista.co.jp/ |
どん底(新宿): 黒澤明も足を運んだ新宿三丁目の名店

どん底
新宿ゴールデン街付近に位置する老舗の居酒屋「どん底」。建物にはうっそうと蔦が生い茂っており、その歴史の重みを感じさせます。店名の由来はロシアの作家、マクシム・ゴーリキー(1868〜1936年)の戯曲『どん底』というだけあり、映画監督の黒澤明(1910〜1998年)を筆頭に、多くの舞台役者や作家が愛した店としても知られています。

3階建ての構造の店内。どのフロアも常に人で溢れ変える
この店の名物は「どん底カクテル」。詩人の金子光晴(1895〜1975年)はこのカクテルをモチーフに『ドンカクの唄』を発表し「ドンカクをなみなみ注いで コップをまえにおくと ふしょうぶしょうに この世界はうごきだす。」とうたっています。

どん底の名物『どん底カクテル』(通称:どんカク)
お店に足を運べば、今も昭和の新宿で生まれた文化の重みをずっしりと感じとれます。それこそが、時代を超えて愛される「どん底」の魅力でしょう。
どん底 | ||
---|---|---|
開館時間 | : | 17:30~0:30 |
定休日 | : | 水・日曜日、祝日 |
住所 | : | 〒160-0022 東京都新宿区新宿3-10-2 |
web | : | http://www.donzoko.co.jp |
冨手公嘉(とみて ひろよし)
編集 / ライター。1988年埼玉県生まれ。the future magazineというメディア・プロジェクトを行なう。最近の仕事に『i-D Japan』『CINRA.JOB』『CINRA.NET』『ISETAN Park.net』など。
■東京・羽田空港の関連記事
■東京の関連記事
※2019年9月6日に一部内容を更新しました。
掲載の内容は記事公開時点のもので、変更される場合があります。
よろしければ、アンケートにご協力ください。