姉からの突然の連絡。わたしは彼女と、はじめて二人きりで旅行にいくことになった。行き先は、北海道。旭川と札幌をまわるツアープランは、もう彼女のなかで決まっているらしい。何かあるんだろうな……そう思いながら過ごしていた旅の夜、姉の口から切り出されたのは突然の告白だった。
北海道出身の小説家・加藤千恵さんが綴る、ある旅の物語。

文:加藤千恵 イラスト:Chihiro Honda

関連リンク: 北海道・札幌を回る後編『大人になる理由』

久しぶりに会うお姉ちゃんを一目見て、何かあったのだろうな、と察した。旅行に誘われた時点から思ったことではあったけど。

やせた、というよりも、やつれた、というほうがふさわしい。しかしそのまま口にするのはためらわれたので、おお、とこちらに向かって片手をあげてきた、その半分くらいの高さで、わたしも片手をあげて、おお、と言った。

「空港で会うの初めてだね」

手荷物検査を終え、出発ゲート近くの椅子に並んで座ったとき、お姉ちゃんは今気づいたかのように言った。待ち合わせのメッセージが来たときから思っていたが、そうだね、とわたしも言った。

空港で会うのも初めてだし、二人で旅行するのだって初めてだ。四つ違いのお姉ちゃんとは、けして仲が悪いわけではないが、理由なしに会うということもほとんどない。一昨年お姉ちゃんが就職してからは、お互い都内で一人暮らし状態ではあるものの、住んでいる沿線が違うのもあって、特に会おうという話も出なかった。

聞きたいことはたくさんあった。LINEや電話で質問するのはよくない気がして、直接会ったときにしようと思っていたのに、こうして隣に座るお姉ちゃんには、なんとなく、質問を寄せつけない雰囲気がある。

「あっ、そうだ、飛行機の中で見ておいて」

お姉ちゃんは、膝に置いていた大きめの黒いバッグから、紙を取り出すと、こちらに手渡してきた。

「なに、これ?」

言いながら受け取り、視線を落とす。A4サイズの紙の一行目には、「★北海道旅行 旭川&札幌★」と大きく書かれている。その下には日付。さらに下には、一日目、として、今日の行程が書かれている。

それによると、羽田空港から旭川空港に移動し、旭川空港からバスで旭山動物園、旭山動物園をしばらく散策し、そこでランチも済ませて、夜はまたバスで駅前に移動し、ホテルにチェックインして、近くの「大黒屋」というお店で食事をするらしい。

二日目は朝からJRで札幌に移動することになっている。札幌市内での観光場所も、箇条書きでいくつもリストアップされている。赤レンガ庁舎とか、テレビ塔とか、時計台とか。わざわざ作成し、印刷してくるなんて、どれほど張り切っているのか。

「自分で作ったの?」

訊ねると、当然でしょう、という表情で頷かれた。

「あ、書き忘れたけど、機内ではコンソメスープ飲むといいよ。おいしいから」

そんなことまで教えてくれたあとで、お姉ちゃんはあくびをすると、眠い、とつぶやいて目を閉じた。まさか行程表を徹夜で作ったわけではないだろうけど。

画像1: 北海道出身の歌人 / 小説家・加藤千恵が綴る旅の物語『冬には冬の』

寒い、と何度もつぶやくわたしの隣で、お姉ちゃんは、間に合ってよかったね、とはしゃいだ声を出している。さっき、寒くないのか聞くと、北海道が寒いのは当たり前、と言われてしまった。そりゃあ寒いとは思っていたが、三月ということで油断していた。まだこんなにも雪が積もっているなんて。

「あっ、ほら、歩いてきたよ、きゃー、可愛い、あっ、こっち見てる、可愛いー」

お姉ちゃんほどではないが、わたしの口からもまた、可愛い、という言葉が自然とこぼれる。係の人たちにつれられるようにして、短い足をよたよたと動かし、雪の上を歩いていくペンギンの姿は、見ているこちらに、確かに愛おしさを感じさせるものだった。

「よかったー、見られて」

引かれた線の外でしゃがみ、スマホのカメラを向けて、ペンギンたちを撮影しつづけながら、お姉ちゃんは言う。ペンギンの散歩が冬季限定であることや、雪の積もり具合によっては実施しない場合もあること、三月は一日に一度しか行わないことなどは、旭川空港からここまで来るバスの中で聞かされていた。お姉ちゃんは、旭山動物園について相当調べてきたらしい。

「連れて帰りたいね」

わたしもスマホでペンギンたちを撮影しながら言う。肉眼で見ているのにくらべて、なかなかうまく撮れない。ぶれてしまったり、後ろ姿ばかりになってしまったり。

「冬には冬のよさがあるよね」

お姉ちゃんは、ゆっくりと言った。ペンギンの散歩だけの話とは思えなかったが、とりあえず、うん、と答える。

画像2: 北海道出身の歌人 / 小説家・加藤千恵が綴る旅の物語『冬には冬の』

ラム肉が、口の中に温度を残している。熱い。それをビールで流しこむ。暖かい室内の中で、よく冷えたビールが、喉を気持ちよく通っていく。ため息みたいな声が、思わず漏れた。おいしい。

わたしは二切れ目のラム肉に手を伸ばす。ちょうどよく焼けていて、いい匂いを放っている。お姉ちゃんが、にやりとする。

「大黒屋」がジンギスカン専門店だと知ったとき、わたしは行きたくないと言った。羊肉は苦手なのだ。だったら野菜を多めに食べなよと無理やりな説得をされ、しぶしぶ来たところ、店中に満ちている、ラム肉を焼く匂いに食欲をそそられた。だまされたつもりでという言葉を信じて、一切れ食べてみると、あまりのおいしさにびっくりした。ちっとも生臭くないし、脂の加減もちょうどいい。

「ホッキョクグマ、大きかったね」

あっさりと好き嫌いを克服させられた悔しさで、話題を変えようと、そう切り出した。旭山動物園の目玉の一つらしい、ホッキョクグマ館は、展示方法が凝っていて、かなりの至近距離からホッキョクグマを見ることができるようになっていた。ダイビングも泳ぎも、迫力があった。

「ホッキョクグマ、見たがってたのよね」

誰が、と質問するより先に、答えが続けて飛んできた。

「恋人と来るはずだったの。恋人っていうか婚約者」

「え、お姉ちゃん、結婚するの?」

「しない、っていうか、やめた。4股かけられてたのが判明したから。他の人とは別れるって泣いて謝られたけど、信用できるはずなくない? だって4股だよ? しかも別にかっこいいとかじゃないの。普通なの。なんか余計に納得できなくってさ」

いきなり電話をかけてきて、大学って春休み? 北海道行かない? なんて言ってきた時点で、何かあったのかな、もしや恋愛沙汰かな、と思っていた。でもまさか、そこまでの背景があったとは。そもそもお姉ちゃんの恋愛について聞かされるのは初めてのことだ。

お姉ちゃんが不意に、箸を置き、肘をつくと、両手で両目を隠すようにした。息のような声がもれる。こんなところで泣き出されても。慰めの言葉を頭の中で必死に探していると、様子がおかしいのに気づいた。これは……。泣いてるんじゃない。笑ってるんだ。

「お姉ちゃん」

わたしの呼びかけに、お姉ちゃんは両手を目から外し、今度は口を隠すようにした。やっぱり笑っている。まさかショックで感情が変になってしまったのか、と思ったが、そうではなかった。

「よんまたって、すごい響きじゃない? 妖怪みたい」

言い終えると、また笑った。何それ、とわたしは呆れながらつぶやいたが、お姉ちゃんの笑う様子に、つられて笑ってしまう。妖怪よんまたも、旭山動物園に展示されるといいね、と言うと、お姉ちゃんはもっと笑った。わたしは、ラム肉を鉄鍋から箸でつまんだ。

加藤千恵
1983年北海道旭川市生まれ。2001年、『ハッピーアイスクリーム』(現在、集英社文庫)にてデビュー。小説、詩、エッセイの他、ラジオなどのメディアでも幅広く活動中。近刊に『ラジオラジオラジオ!』(河出書房新社)、『こぼれ落ちて季節は』(講談社文庫)、『点をつなぐ』(ハルキ文庫)など。

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