今回の旅は熊本県の北部に位置する、菊池市。透明度の高い湧水が流れる豊かな自然を有し、菊池一族を生んだ歴史の街です。菊池渓谷や肥後の石工により作られた現役の石橋に感動しました。レンタカーを使わない、熊本県菊池市のレポートです。
画像: 熊本県菊池市 歴史と湧水を巡る旅(前編)

西村 愛

2004年からスタートしたブログ「じぶん日記」管理者。47都道府県を踏破し、地域の文化や歴史が大好きなライター。
島根「地理・地名・地図」の謎 (実業之日本社)、わたしのまちが「日本一」事典 (PHP研究所)、ねこねこ日本史でわかる都道府県(実業之日本社)を執筆。 サントリーグルメガイド公式ブロガー、Retty公式トップユーザー、エキサイト公式プラチナブロガー。

菊池市といえば中世に華々しい活躍をした「菊池一族」がいた街です。今回の旅では菊池の街の各所にある歴史的なスポットを見て回りました。写真多めでお送りします。

九州統一を果たした菊池一族。日本の菊池さん、菊地さんのルーツは肥後にあり。

朝廷が置いた九州の行政機関「大宰府」の高官であった藤原則隆がこの地にやってきて、その氏を地名であった「菊池」へと変え、現在の菊池市を拠点として450年、24代にわたり活躍したのが菊池一族です。

菊池の名を有名にしたのは10代武房で、博多へ出陣し蒙古襲来(元寇)に参戦し活躍しました。また13代武重の時には「寄合衆内談の事」という三か条を作りました。これは日本で最も古い誓いの書(血判状)であり、その後明治天皇が示した「五箇条のご誓文」にも影響を与えました。15代武光の時代になり、菊池氏は最も勢力を拡大します。時は南北朝時代、後醍醐天皇の皇子であった懐良(かねなが)親王は肥後国隈府(現・菊池市)を拠点に武光と共に激闘を勝ち抜き九州統一を果たし、菊池一族は九州の歴史に鮮やかな一端を残しました。
その後菊池一族は衰退していきますが戦国乱世の時代、数々の勝利を収めた菊池氏の足跡は今も市内に数多く残されています。実は数多くの菊池市には菊池姓が少なく、菊池氏の末裔は全国に散らばり「菊地」などに改姓していったと言われています。その中で最も有名なのが西郷どん=「西郷隆盛」です。西郷隆盛はまたの名を「菊池源吾」と名乗っていました。子供たちにも菊次郎、菊草など「菊」の字を付けました。
もしかしてアナタのお隣の「きくちさん」も、菊池一族かもしれません。

明治天皇により建てられた厳かで格式ある社「菊池神社」。

城址には「菊池神社」が建てられ、一族が祀られています。「菊池神社」からは市内が一望でき、静かな境内で厳かな雰囲気を味わうことが出来ます。
「菊池神社」は明治時代になり、天皇家に対して功績を残した菊池一族を祀るために建てられた神社です。よって祀られている神様は菊池一族です。
「境内の東側にある摂社」である「城山神社」も同様で、菊池一族が祀られています。
山城であった守山城の跡地に建てられており、市内の最も中心的な場所にあります。そして桜の名所としても親しまれており、数多くの桜の木を見かけました。春のお出かけにも良さそうです!

菊池には歴史的な観光スポットがいっぱい!「旧高木邸」、「将軍木」、「北宮阿蘇神社」。

御所通りと呼ばれる通りには多くの史跡が残されています。大正時代に建てられた洋館で現在も病院として使われている「旧高木邸」や、その並びの「旧松倉邸」は粋な意匠をふんだんに散りばめた価値ある建築物。
またそこから100メートルと離れていない場所には将軍お手植えの椋「将軍木」と将軍=懐良親王を楽しませるために始まった松囃子能の能場などが続きます。
さらに、「北宮阿蘇神社」は菊池一族が勧請した神社として古い歴史を誇ります。
川沿いに建てられた神社で、神聖で気持ちを落ち着ける雰囲気を持ち、精神の浄化を感じさせるような空気感がありました。

後編はこちら

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