佐世保駅から路線バスに乗り約1時間半。長崎県北部、平戸瀬戸にかかる大きな赤い橋「平戸大橋」を渡り、本土から平戸島へ。古くから海外と交流を行っていた日本初の貿易港・平戸港は、16世紀には国際色豊かな日本の玄関口として繁栄しました。異国情緒と、城下町である島の雰囲気を感じられる街を散策します。
佐世保から路線バスで、異国情緒あふれる平戸島へ。
バスで島へ向かうのも島内をバスで巡るのにも中心になるのが、「平戸桟橋バス停」がある平戸市観光交通ターミナル。観光案内所やタクシー乗り場、フェリー乗り場もある観光の基点であり、さらに周辺には飲食店や土産物店なども立ち並びます。
ポルトガル船が佐世保に入港したのが1550年。平戸藩主であった松浦隆信がポルトガル船との交易を許可し、それ以降西洋との交流が始まりました。その後の平戸は港に面してオランダ商館が立ち並び、貿易の拠点として外国人が行き来する国際色豊かな街へと成長します。当時は平戸から銀がたくさん輸出されていました。外国の文化や人、言葉など全てが珍しかった時代、平戸の人々は外国人と共に平戸の街を大きく発展させました。
平戸では、城を意識して作られることが多い他の城下町とは違い、港を中心にした街が形成されてきました。江戸時代中期に再建された平戸城や、藩主であった松浦氏の私邸は海側からも良く見えたそうです。石垣や城壁、建物はそびえたち、圧倒的な存在感を与え、迫力と威厳を感じさせていたということです。
南蛮文化を受け入れ、貿易により発展していった平戸の様子は、「松浦史料博物館」で見ることができます。中には茶室もありお茶をいただくこともできます。
2020年“城ホテル”が誕生!街のシンボル「平戸城」。
平戸城は街のあちこちから様々な角度で眺めることが出来る、ランドマーク的な建物です。
実はこのお城、2020年夏頃に「城ホテル」として生まれ変わる計画があり、今後大きな注目を集めそうなお城なのです。
国内どこを探しても、常に泊まれるホテルとして営業しているお城は今現在なく、この平戸城が「城ホテル」になれば“日本初”。泊まれるようになるのは懐柔櫓(やぐら)で、今後天守閣と共に改築されていきます。海外では古城がコンサートホールやホテルになっているところは珍しくありませんが、日本の城としてはとても斬新で、思い切った計画です。今まで城に興味がなかった人や外国人観光客の関心を集めそうな、楽しい企画です。
ここでご紹介するのは改築前の平戸城。このお城からの絶景をぜひみなさんにも知っていただくべく、天守閣へ登城してきました。海に囲まれた高台にあるお城は眺望をさえぎるものは何もなく、平戸で有名な教会や平戸大橋など、どの方角を見ても平戸の街を一望できる最高のロケーションです!
平戸市内にある和菓子屋さんでは平戸城そっくりな「平戸城もなか」を食べて、さらにお城に親近感を持ちました。
日本にキリスト教を伝えたザビエルの訪問地、平戸の「聖フランシスコ・ザビエル記念教会」。
フランシスコ・ザビエルを乗せたポルトガル船が鹿児島に来航したことで、キリスト教が伝来したのが1549年。翌年、平戸にポルトガル船が入港したという話を聞いたザビエルは、初めて平戸の地を訪れました。その後も日本各所を布教してまわったザビエルですが、平戸には、日本に滞在した2年間で合わせて3度も訪問したそうです。そんなことで、平戸にはしっかりとキリスト教が浸透していきました。禁教令が敷かれた時代になっても、信者らは潜伏キリシタンとなって脈々と教えを守り伝え続けたのです。
禁教令が解かれると、長崎の各地には次々と教会が建てられました。平戸では紐差教会や宝亀教会などに続いて1931年、「平戸カトリック教会」が建てられました。その後、平戸にキリスト教を布教したザビエルを称え、「聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂」とも呼ばれるようになったということです。
教会堂の脇に「ルルド」が建てられています。これはフランス「ルルドの泉」を模したもので、キリストの母である聖母マリア信仰の証でもあります。カトリックにはマリア信仰がありますが、長崎では特にマリア信仰が強いと感じました。またこの教会には平戸で殉教した人たちのための碑も建てられていました。
その他にも平戸や、平戸と橋でつながる生月島には多くのキリシタンの歴史が残されています。「寺院と教会を一度に眺められるスポット」も、平戸らしい景色として観光客に人気です。
次のページでは潜伏キリシタン関連の世界遺産スポットへ向かいます。禁教令時代の人々とキリスト教との関わりを学ぶ「世界遺産を巡る定期観光バス」ツアーに参加しました。
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