日本には、まだ味わったことのない素晴らしい味覚が数多くあります。見聞きしたり、あるいは口にしたりしたことはあっても、旬のものをご当地で堪能することは、ほかでは得がたい感動が心に刻まれます。寒さとともに食材のおいしさが一層深まる冬。いつか出かけたい旅のヒントを求めて、滋賀県に熊鍋を、茨城県にあんこう鍋を味わいに足を運びました。
画像: 西の熊と東のあんこう。ここでしか食べられない冬の味覚に舌つづみ

そこかしこに雪化粧が施された滋賀県・比良山地の中腹、サラサラと流れる湧水のせせらぎが耳に入ってくる風情のなかに身を置いたなら、これから訪れる食の楽しみに、否応なしに気分が盛り上がります。

長い年月をかけて求め至った、最高の熊肉

画像1: 長い年月をかけて求め至った、最高の熊肉

比良山荘は、ほど近い京都のみならず全国の食通を唸らせる、知る人ぞ知る熊料理の名店。暖簾をくぐれば、ほのかに香木のいい香りが漂います。京都の老舗・松栄堂のものだとか。近隣の寺院から譲り受けたという杉の木で建てられた新館にある奥座敷に通されると、庭園が望めます。

画像2: 長い年月をかけて求め至った、最高の熊肉

伊藤さん「11月15日~2月15日が全国共通の猟期です。秋から脂肪を蓄えた熊のなかでも、最高に強い熊じゃないとダメなんです。猟師さんといろいろ相談して、長い年月をかけて熊猟師のネットワークを広げていきました。最初はあまり質がよくない熊も、わかったうえで買っていました。いいものも悪いものもすべて買ってこそ信頼関係が築けるし、よくないことも伝えられる。それを繰り返していくと、上質な熊肉に巡り合える確率が格段に上がっていきました」

画像3: 長い年月をかけて求め至った、最高の熊肉

ご主人の伊藤剛治さんは語ります。ほどなくすると、熊肉と野菜が運ばれてきます。雪のように白い脂をたっぷり蓄えた熊肉と、スーパーなどではまずお目にかかれない葉先がピンと立ったクレソンに、堂々とした風格のなめこ。

画像4: 長い年月をかけて求め至った、最高の熊肉

伊藤さん「この白い脂が、どのお肉にもない部分。私たちは白身と呼んでいます。熊肉と聞くとワイルドな印象かもしれませんが、食べたらエレガントで上品な味に驚くはずです。イメージときっと違う。熊肉はジビエのなかでも別格の存在。野生の動物ですから肉質の管理はできません。熊そのものが強く大きい個体であることと、弾の当たり方、血抜き、捌きの3つが完璧でなければ、臭みや肉の硬さが出てしまいます」

画像5: 長い年月をかけて求め至った、最高の熊肉

紅色に染まる炭の入った練炭に、出汁を張った土鍋を置き、うちわであおいで煮立たせます。ふつふつと沸いたところにすかさず熊肉をさっとくぐらせるわけです。ものの数秒で食べごろ。さっと鍋から器にあげて、熱々をいただきます。

画像6: 長い年月をかけて求め至った、最高の熊肉

たとえる例が思いつかない、山の恵みの味わい

ほのかな甘みと塩気を感じる出汁と一緒に口に滑り込ませます。すると脂身のふくよかな風味が口いっぱいに広がります。“口福”とはまさにこのこと。えぐみもなく臭みもなく、かといって脂っこすぎもせず、鴨肉に近い脂の口当たり。かといって鶏肉とは別物。白身とは好対照にある赤身もまた臭みがなく、牛肉に近いけれどもちょっと違い、筆舌に尽くしがたいうまみが押し寄せます。

画像1: たとえる例が思いつかない、山の恵みの味わい

伊藤さん「この出汁の甘みは、実は蜂蜜。熊肉はたとえるものがないお肉なんです。クジラに近いと言われる方もいますが、食べていただかないとわかりませんよ。アクもなければえぐみもない、さらっとしているでしょう。牡丹や桜といって獣肉には俗称があるわけですが、熊に関しては呼び方がないんです。それだけ希少動物。当店の月鍋の“月”は熊肉を指しますが、それは私が名付けたんです。『熊はなんていうの』と聞かれたことがあって。そこで月輪熊の月と、雪月花という言葉の月になぞらえました。雪が降って花が咲くまでのいっときに楽しめるものということで」

画像2: たとえる例が思いつかない、山の恵みの味わい

締めは自然薯の雑炊です。滋賀県産の自然薯を出汁で煮立つ雑炊に入れて、鍋のなかで、さじで丹念に練り上げます。皿に掬い上げ、川海苔をひとつまみ。ふわっと香る香ばしい香りにいてもたってもいられず流し込めば、ふわふわの舌触り。より力強さを増した出汁と自然薯にお米が加わった、三位一体のおいしさ。口福には続きがありました。

画像3: たとえる例が思いつかない、山の恵みの味わい

伊藤さん「春には、花山椒鍋を作ります。月鍋に山椒の花をたっぷり入れるのですが、部屋中が山椒のさわやかな香りに包まれます。春には山菜も一挙に出ます。川魚の稚鮎、イワナやアマゴ、盛りだくさん。お出しするのが楽しみです」

そんな話を聞いていると、また喉が鳴るわけですが、冬以外にも訪れる楽しみができたような気がします。

比良山荘

住所滋賀県大津市葛川坊村町94
電話077-599-2058
営業時間11:30~13:00最終入店、17:00~19:00最終入店
定休日火曜日
webhttp://hirasansou.com

※完全予約制。「月鍋」(コース1人前24,200円〜・税込、サービス料別)で11月中旬~3月末の限定

古くは徳川家に献上された、大洗のあんこう

西のジビエをご紹介したならば、今度は東に目をやって、冬ならではの海の幸はいかがでしょうか。訪れたのは茨城県水戸市。大洗港が近いこの場所は、古くからあんこう漁が盛んです。

画像1: 古くは徳川家に献上された、大洗のあんこう

高野さん「大洗のあんこうは、古くは徳川家にも献上されたもの。西のふぐか東のあんこうと呼ばれるほどおいしいですよ。通年いただけますが、なかでも格別なのは冬。この時期だけのどぶ汁がお楽しみいただけます」

画像2: 古くは徳川家に献上された、大洗のあんこう

女将の高野貴美子さんが教えてくれました。いささか耳を疑うような名前ながら、れっきとした伝統の漁師料理。あんこうを使った鍋料理ですが、“あんこう鍋”とは別物です。新鮮な生のあん肝をお鍋で乾煎りして味噌とだし汁を加えて作る、茨城ならではの郷土料理。新鮮で良質な生の身と肝が手に入る冬期だけの味覚です。

高野さん「溶け出したあん肝がそのように見えたことから“どぶ汁”と名付けられたなど、さまざまな説があります。しかし野菜の水分だけで作るためあまりにもアクが強く、ぬめりもあって濃厚すぎて食べにくいこともあり、近年ではこのように出汁を加えて作るようになりましたが、それでも肝をたっぷり味わえます。一般的なあんこう鍋とはまったく違うおいしさがありますよ」

画像3: 古くは徳川家に献上された、大洗のあんこう

そんな話に耳を傾けていると、鍋の具材が運ばれてきました。白く半透明に輝く身が、なんともなまめかしく食欲をそそります。前日に獲れた大ぶりのあんこうを1日かけて洗って寝かせて、うまみを引き出したものなのだそう。鍋が煮立つ前に先付けとして出されたのが、これまたみごとにぷっくりとしたあん肝です。

濃厚なうまみの肝と、豊かな食感の白身

高野さん「こちらも冬だけ。選りすぐりのあんこうから一番いいものを使い、ひと手間掛けてこの仕上がりにしています」

画像1: 濃厚なうまみの肝と、豊かな食感の白身

極上あんきも(2,200円・税込)。上にポン酢のジュレを載せています。通常のものよりも滑らかで濃厚、風味も豊か。舌の上を滑らかに滑り、口の中でフワッと溶け出します。立ち上る濃厚なうまみに、とろけるような心もちになりますが、余韻に浸る間もなく、お目当てのどぶ汁が鉄鍋にふつふつと湯気を立て始めました。

画像2: 濃厚なうまみの肝と、豊かな食感の白身

肝がたっぷりと溶け込んだ味噌仕立てはなんともワイルド。器にひとすくい。熱い汁を口に含めば、塩気とともにあん肝の豊かな風味が華々しく広がります。

画像3: 濃厚なうまみの肝と、豊かな食感の白身

極上のスープもさることながら、あんこうが持つプリプリの弾力の素晴らしさたるや驚きです。サクサクとしたエラ、コリコリとした胃袋、プチプチとした卵巣、それぞれに違った食感と味わいがあり、ひとつの食材からこうも多様な味わいが出てくるのかと、驚きを覚えます。「あんこうは捨てるところなし」といわれることにも納得です。

白菜、ねぎ、だいこん、ゴボウ、春菊と脇を固める冬野菜のなかでも、白菜とねぎは白眉。身が厚く甘みがあり、さすがに産地なだけのことはあります。しかし一気呵成に食べてしまうのは、あまりオススメできません。

高野さん「ゆっくり召し上がってくださいね。あんこうからゼラチン質がどんどん溶け出し、味に深みが増していくのです。最後の雑炊まで残しておきましょう。残った出汁にお米、あさつきと、さっぱり楽しめますよ」

水戸 山翠

住所茨城県水戸市泉町2丁目2番地40号
電話029-221-3617
営業時間平日・祝日 11:30~14:30、17:00~20:00/土日 11:30~15:00、16:00~20:00
定休日火曜日
webhttps://www.sansui-mito.com/index.html

※「どぶ汁」(2人前 6,050円・税込)は3日前までの要予約

楽しみは冬のみならず。日本には、四季折々の旬の味覚があります

さらさらとかき込んで、満腹。店を後にすると、太平洋からの強い冬風が吹き付けてきますが、体の芯から温められたおかげで、心なしか寒さをあまり感じません。季節になると日本各地からファンが訪れるあんこうは、漁師料理らしい力強さに溢れていました。

このような食との巡り会いは、四季折々の旬の味覚が楽しめる日本に生まれたことを心から感謝できる瞬間といえます。いずれの味覚も雪解けの季節までなら間に合いますが、焦りは禁物。少し、世の中が落ち着くのを待ってからでもいいかもしれません。春には春、夏には夏の味覚たちが、今か今かとシーズンの到来を待ち構えているのですから。

掲載の内容は記事公開時点のもので、変更される場合があります。

This article is a sponsored article by
''.