![画像1: 広島空港から行く瀬戸内の絶景を探す旅(前編)](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783489/rc/2019/12/24/8fab2927395eccfa61cedde0c2063061a223a4ef.jpg)
西村 愛
2004年からスタートしたブログ「じぶん日記」管理者。47都道府県を踏破し、地域の文化や歴史が大好きなライター。
島根「地理・地名・地図」の謎 (実業之日本社)、わたしのまちが「日本一」事典 (PHP研究所)、ねこねこ日本史でわかる都道府県(実業之日本社)を執筆。 サントリーグルメガイド公式ブロガー、Retty公式トップユーザー、エキサイト公式プラチナブロガー。
空港からたった25分。塩田で栄えた竹原を目指して。
広島空港へじわじわと降下する飛行機がなかなか雲の中を抜けてくれないなぁと思ったら、濃霧でした。広島空港は山の中にあり霧が出やすい空港なのですが、たとえ濃霧でも安全に着陸できる設備が完備されているとフォロワーさんに教えてもらい納得!
ここからリムジンタクシーで竹原町並み保存地区へ。“安芸の小京都”とも呼ばれる竹原は空港からも近く、帰りに立ち寄るのも良いかもしれません。
竹原町並み保存地区までは駅から歩いていくことができます。
豪商や製塩の問屋が並ぶ端正な佇まい。タイムスリップしたかのような風景に浸れる由緒ある町並みを見ることができます。
朝の便で広島空港へ!最初に目指すのは「竹原」ですよ。
上空は青空で安定飛行、遅れることもなく順調でした。
空港から竹原まではリムジンタクシーで25分ほど。9人乗りなので予約が無難です。
さて広島空港周辺も霧。段々畑と赤い瓦屋根の家々が続く三原の街並み…、が何も見えない!
竹原駅へ到着したら、ここから数分のところにある「竹原町並み保存地区へ」。竹原は塩田として栄えた街です。入り口に差し掛かるところに小さな社がありました。
「出雲神社」。小さな街なのですがこの中に多くの神社が勧請されているようです。
この住吉大神宮は狛犬が社殿よりも後ろにあるという不思議な神社。狛犬だけ動かしたのか社を前に出したのか、元々こうだったのか
道の駅「たけはら」が見えたら、いよいよ古い街並みのエリア。
塩浜で大成功!趣ある街を残した豪商たち。
竹原の製塩の歴史は江戸時代に遡ります。
慶安期、開墾された土地は塩気が多く耕作できず放棄されたままとなっていました。農作物が育てられなかったことから塩浜にすることを提案された竹原の住民は、赤穂の職人を招き入れ製塩技術を学び、土地を塩田へと改築していきます。
これがことのほか上手くいき飛躍的に発展し、その後各所から商人がこぞって塩浜経営に手を挙げるようになったのです。
竹原には古くてモダンな建物が沢山残されていて、それらを見て回るのも楽しいです。こちらは元おそば屋さん。
こちらは写真館。店名フォントのデザインが凝った、木造三階建て。
どの家も立派な姿。反った屋根と木炭を混ぜたような墨色の漆喰壁。
実は「マッサン」、ニッカウヰスキー創業者である竹鶴政孝の生まれ故郷でもあります。実家は造り酒屋の竹鶴酒造で創業は1733年。
白漆喰と格子戸が続く町並み。
竹細工や竹飾りもあり、和の雰囲気に整えられています。竹の街・竹原として竹を使った灯りのイベントなども開催されているとのこと。
本川。これは人工的な川で港でした。ここを通り、竹原で作られた塩が全国へと運ばれていきました。
竹原をまわるのには周遊券が便利です。しかし有料施設の定休日がばらばらなので注意が必要です。
まずは屋根が素晴らしいこちら!竹鶴酒造と同じ筋にある「松阪邸」。瓦が大好きカワラーとしての血が騒ぎます。
数寄屋造りの伝統的純和風のお宅。丸窓に抜くなどの粋なデザインも取り入れられています。
網代天井はよく見られるものですが、網代廊下は初めて見ました!
お庭もとても整備されているので、外からだけでなくぜひ入館されることをオススメします。
儒学者であった頼山陽の叔父・春風の邸宅であった春風館、さらにその隣に建てられた復古館の離れ座敷である「光本邸」。
銅像は頼山陽。叔父であった春風は医業を営んでいましたが、その後塩田経営も行い竹原に大きな邸宅を設けました。その後復古館離れ座敷を光本家が居とし、光本邸という名前で公開されています。
障子を挟んで違う形の組子にし、光の透けを楽しむ粋な造り。オリーブグリーンもきれいです。
芸術的な意匠をふんだんに使った浜旦那の旧邸宅「森川邸」。
森川邸は塩田で財を成した「浜旦那」と呼ばれる製塩業者の旧宅です。森川家のように塩田で財を成し、その他の商売まで手を広げ大経営者となった浜旦那が竹原には沢山います。
森川邸は、福山市にあった山路氏の邸宅を移築・増築したことから、屋根には2つの家紋が見られます。家の中に「鉄刀木(たがやさん)・紫檀・黒檀」という銘木3種類が使われているのも特徴です。
建築文化、芸術性の高さなど大正時代の豪商の暮らしぶりを見ることができる貴重な建築物で、その広さは192.5畳、2階建て29部屋、さらに和風の庭も持つ広大な敷地です。
知恵と苦労の末、使い物にならなかった土地から経済を生み出した、当時の竹原の繁栄の象徴をこの邸宅に見ることができます。
あいにくの豪雨となり、竹原をゆっくりまわることが出来ず。ただ、たくさんの見所があるのでたっぷり時間を取っておくともっと満喫できる街です。私はここまで見て、大久野島へ移動します。保存よく、質の高い邸宅「森川邸」。
奥まで和室、5部屋。ここは家の中でも縁側を挟んで庭が見える良い場所。一番奥には床の間がある客間があります。
長い縁側。ここでは天井にご注目。写真左上の長い梁。なんとこれ、長い丸太なのです。長い2本をつなげて作られた立派な梁です。
離れ座敷から見た主屋と庭。離れ座敷は移築された後、大正時代に増築されました。
離れの座敷の意匠も大変美しく光に透ける組子が芸術的です。作られた時代をそのまま保っていることが評価されています。
庭の手入れも行き届いています。
後に増築された部分の瓦には森川家の紋があります。
奥の方に土間などがあり、立派な梁が家を支えています。
最後に玄関の車寄せ天井を。純和風の邸宅の中、大正時代増築部分のここだけが洋風でした。
後編はこちら
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