加えて、「だけじゃない島根」と題して観光大使の私が、島根の新たな食スポットや名物を紹介していきます。

西村 愛
2004年からスタートしたブログ「じぶん日記」管理者。47都道府県を踏破し、地域の文化や歴史が大好きなライター。
島根「地理・地名・地図」の謎 (実業之日本社)、わたしのまちが「日本一」事典 (PHP研究所)、ねこねこ日本史でわかる都道府県(実業之日本社)を執筆。 サントリーグルメガイド公式ブロガー、Retty公式トップユーザー、エキサイト公式プラチナブロガー。

松江駅までは空港から30分!松江城までの行き方を説明します
出雲空港へ向かったのは9月の頭。今年の気候は東京と真逆で、島根はとても暑かったのだそうです。しかしそれでも朝晩少し涼しくなってきた季節。青い空に実る稲穂!
空港がある斐川地区は平野が広がり田畑や花畑、季節には小麦などを育てる一大農業地です。
出雲空港は島根県の二大都市である松江市、出雲市まで共に約30分という好立地。まずは松江駅まで空港バスを使って移動です。
松江駅から松江城までは「ぐるっと松江レイクライン」バスが使えます。1回の乗車が200円、1日券乗り降り自由で500円。可愛いデザインで目立ちます。
でも今回私はお城まではタクシーで向かいました。松江城まで行ってしまえばその周辺は歩いて散策できるからです。タクシーも1000円でお釣りが来る距離です。
問題はレンタカーの皆様。土日の松江城周辺は駐車場が混みます。そんな時は松江城お隣の県庁に停めましょう。土日祝のみ観光客にも開放されていますよ!
空港バスで30分、松江市に向かいます。
出雲縁結び空港に到着しました。
空港バスで30分、松江市に向かいます。
斐川平野の美しい田園風景。遠くに見えるのは北山です。
松江駅からは観光地をまわれる循環バス「ぐるっと松江レイクライン」が走っています。レトロで目立つので乗り場もわかりやすい!
国宝になった松江城、神社の蔵から見つかった祈祷札
松江城は2015年、天守が国宝に指定されました。天守は焼けたり壊されたりすることなく今の時代にまで残っている「現存12天守」のひとつです。明治時代の初頭、政府によって出された「廃城令」により、維持管理できなくなった日本中のお城が取り壊されることになりました。松江城も例にもれず廃城となり取り壊しが行われますが、そんな中、当時の金額で180円を政府に支払った地元民らのおかげで、天守だけを国から買い戻したのでした。松江城はこうして保存され、今も昔の姿を見ることが出来ます。
しかしそれだけでは国宝になることはできませんでした。松江城と共に訪れていただきたいのが松江城のすぐ隣にある「松江神社」です。薄緑色の洋館「興雲閣」と神社の間、奥まったところに見える蔵がまさに「国宝化」のポイントでした。この蔵の中から松江城の創建年が書かれた祈祷札が見つかり、慶長16年に城が完成したことが明らかに。これにより、国宝指定されることが決まったのです。
国宝・松江城、別名千鳥城と呼ばれています。手前に出っ張ったところは「つけ櫓」。ここは入ると地下一階になっています。戦闘要素の多いお城で、実際に攻め入られた時の細工が施されています。
松江城二の丸上の段に移築された「松江神社」。二の丸上の段は元々藩主の住居がありました。政治関係の部署が集まっていた場所でもあり、大奥もあったのだとか!

明治32年、ここへ松江神社を遷座し今に至ります。松江城を建てたことで知られる堀尾吉晴公、松江松平家の初代直政公と七代治郷公、そして徳川家康公が祀られています。

すぐ隣には洋館の「興雲閣」。中にはカフェや松江の歴史や人物の資料などが展示されています。明治時代の皇太子(後の大正天皇)がお泊りになった迎賓館です。
松江神社と興雲閣の間にひっそりとある蔵。この中から、松江城国宝決定の背中を押した祈祷札が発見されました。
屋根に付けられた葵の御紋も見どころのひとつ。松江城主であった松平家は徳川系であり、松江神社はもともと東照宮として建てられました。

こちらの手水舎は約400年前に作られた傑作。

松江城は完全戦闘系のお城。入口上部には「石落とし」などのしかけが。狭間(縦長の穴)からは弓や石が飛んでくるんですね。こわいこわい~!
屋根の上に乗っかっているしゃちほこを見ることが出来ます。松の木製で銅板が張り付けてあります。屋根の上では緑色、銅色に見えます。

ディテールまでしっかり見ることが出来ます。こんな重たいものが屋根の上に乗っているんですね…。
こちら!!松江城を築城した時に大山寺からやってきた僧侶が「大般若経600回読んで、祈りました。」というようなことが書いてあります。実際には600回は読めないので、蛇腹になった経本をパラパラしたようです。
ここに書かれた「慶長16年」の文字、またこの祈祷札を留めていたと思われる柱の場所にうっすらと日焼けした跡、柱と札の釘跡が一致してやっと国宝と認められました。この柱を修復で取り換えていたりしたら国宝になっていなかったかもしれないなんて、運命感じてしまいます。

こちらは城内部。当時5年間で一気に作ったお城だったため木を集められず、不良材の周囲に板を巻きそれを鉄で止めた様子。割れたり傷んでいる木を隠す意図がありました。

真田丸(真田幸村)から授かった扇。大坂冬の陣の際、松江松平家初代藩主である松平直政公に与えられた軍扇だとのこと。

ハートが逆さまになって可愛い…♪とか思っていたらこれは「猪(い)の目」。冷静になる。イノシシの目は決して可愛くない。松江藩の藩印です。

天守の頂上まで上がってくると景色がとてもいいです!宍道湖やそこに浮かぶ嫁が島、左に見切れているのは県立美術館。あまり高い建物がなく、松江城がランドマーク的な役割を果たしていることも感じられるでしょう。

階段は急なので特に降りる時は気を付けてください。しかもツルツルすべるのでしっかり歩かないと危ないです。
松江城に登ってみよう
松江城でまず圧巻なのは「石垣」。石垣職人であった穴太衆(あのうしゅう)が指導して、島根半島の海沿いの石を切り出して運んだことがわかっています。様々な工法があり、石垣の展示場のようです。その石垣の上にある復元された櫓などもカッコいいので必見です。
城内でとても大切なのは祈祷札がかけられていた場所、現存最大級のしゃちほこ、そして柱にある包板(つつみいた)、真田丸から授かった軍配など。眺めの良い最上階からは松江と宍道湖が一望できます。お殿様になった気分でぜひ盛り上がってください!
さてせっかくなので石垣も。隙間が少なく石を加工して組み込んでいるのは「切込みハギ」。入ったところ正面、馬溜から見上げた二の丸上の段の石垣。高さは14メートルあり丁寧に仕上げてあります。
大手門は基礎を残すのみ。素晴らしく荘厳だったと考えられています。復元したいのですが資料がないので、松江市は復元に必要な写真や資料に500万円(!)の懸賞をかけています。集まれー、資料。
太鼓櫓を見上げる石垣の角は細い石を長い、短いを繰り返す「算木積み」。強度を高め崩れにくくした工法です。
こちらは「打ち込みハギ」。石と石の間に小さな石を詰め込んでいます。
ここはかつて米蔵があった二の丸下の段。今は大茶会などイベントが開催される場所です。ここには地下遺構が眠っています。
下から眺めるお城もいいものです。
何層にも重なる石垣。しつこくてスミマセン。石垣好きなんです。
自然石をそのまま使った「野面積み」。私が石垣を好きになったきっかけ?の石垣です。ここはお城の裏側にあたる場所ですが、本当にどっかから侍が飛び出してきてもおかしくないくらいに雰囲気がある場所です。お城のだいご味は石垣にあると言っても過言ではありません!
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