全国各地に根づいた民藝品を紹介する書籍『民藝の教科書』(グラフィック社)の取材で、北は青森から南は沖縄まで、美しい手仕事を求めて旅してまわったことがあるという、ライター・フォトグラファーの萩原健太郎さん。日本には山や川、海に平地と変化に富んだ自然が広がり、地域によって林業や漁業、農業などの生業とともに、それぞれの暮らしの営みと手仕事が育まれてきたことを、その旅であらためて知ったといいます。
縁結びの神として名高い出雲大社をはじめ、神話の息づく場所として知られる島根県・出雲には、豊かな自然と歴史が生んだ美しい手仕事が数多くあります。出雲の人々が守り育んできた手仕事をめぐる旅を、萩原さんがご紹介します。

原料の特性を活かしてすき分けた最高品質の和紙

出雲民藝紙

出雲の紙の歴史は古く、奈良時代にまでさかのぼるという。そこから時代は下って江戸時代には松江藩主が職人を育成してこれを発展させ、その後は隣の広瀬藩も紙すきを奨励するようになり、やがて現在の松江市八雲町でもはじまった。

画像: 紙すきの作業

紙すきの作業

出雲を代表する和紙のひとつが、「出雲民藝紙」だ。先述の出西窯の物語に登場した「民藝運動」は、出雲民藝紙にも大きな影響を与えた。創始者は、松江で紙すきを家業とする家に生まれた安部榮四郎。1931(昭和6)年、松江を訪れた際に榮四郎のすいた紙を見た柳宗悦が「これこそ日本の紙だ」と称賛し、これを機に榮四郎は民藝運動に参加するようになった。

榮四郎は和紙の持ち味を活かして染めた和染紙や、繊維が強靭な楮(こうぞ)、やわらかな三椏(みつまた)、短く光沢のある雁皮(がんぴ)、といった原料の特色を活かしてすきわけた生漉紙(きすきがみ)などを発表し、後にこれらが「出雲民藝紙」と総称されるようになった。

画像: 湧水を水槽にため、三椏の皮を洗ってチリを取る作業

湧水を水槽にため、三椏の皮を洗ってチリを取る作業

紙すきの工程自体は、工房による差はさほどなく、原料が違いを生む。外国からの原料に頼る工房もあるなか、出雲民藝紙では国産にこだわり、人間国宝にもなった榮四郎の技を息子、孫が継承している。

出雲民藝紙(安部榮四郎記念館)
定休日火曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始、展示替えのため臨時休館あり
営業時間9:00〜16:30
webhttp://www.mable.ne.jp/~mingeishi/
http://abe-eishirou.jp/
住所島根県松江市八雲町東岩坂1754

出雲の鉄鍛造の伝統を継承する工房

鍛冶工房 弘光

宮崎駿の映画『もののけ姫』のシーンに、「たたら場」がある。たたらとは砂鉄を原料として製鉄を行う技法であり、その起源は古墳時代にまでさかのぼる。出雲地方は『もののけ姫』の舞台ともいわれ、日本でもっとも製鉄のさかんな地域だ。

たたら場でつくられた鉄鋼を製品に加工するのは、鍛冶屋の仕事だ。包丁やはさみ、鎌やくわなどの製造や修理を担う鍛冶屋は、人々の暮らしに欠かせない存在としてかつては日本全国にあったが、戦後農林業や生活形態の変化などにより徐々に姿を消していった。それは出雲地方においても例外ではない。

そんななか、いまも出雲伝統の鉄加工を継承する工房に「鍛冶工房 弘光」がある。江戸・天保の時代(1830〜1844年)から、たたら製鉄業、鍛冶業を営み、現在の小藤洋也さんで10代目を数える。

画像: 小藤洋也さん。「鉄は熱いうちに打て」ということわざもあるように、鍛冶仕事では素早い作業が要求される

小藤洋也さん。「鉄は熱いうちに打て」ということわざもあるように、鍛冶仕事では素早い作業が要求される

「鍛冶工房 弘光」では良質な和鉄を原料に、古くは農耕具や刀剣などの刃物をつくっていた。洋也さんに代替わりした昭和30年代には、まだ暮らしの道具として鉄製品が求められていたが、次第に需要がなくなっていき、鍛冶屋はのれんを下ろしていったという。やけどなどはあたりまえの厳しい世界ということもあり、洋也さんも自分の代で廃業することを考えていた。

しかし、父の背中を見ながら育った子どもたちは、伝統の灯を消すことを許さなかった。現在も洋也さんは、11代目を継ぐ息子の宗相さん、娘の柘植由貴さんに指導しながら、工房で火と格闘する日々を送る。昔ながらの技術を継承しながらも、現代の生活に必要とされるものを、という思いから、手燭や灯台、燭台などのあかりや、花器などの工芸品の創作に取り組んでいる。新作には、子どもたちの意見がしばしば取り入れられるという。

画像: 鍛冶工房 弘光の「透かし燭台」。ろうそくの炎と、皿を通して生まれる影のコントラストが美しい

鍛冶工房 弘光の「透かし燭台」。ろうそくの炎と、皿を通して生まれる影のコントラストが美しい

つくるものは変わっても、焼いた鉄を金槌で丹念に打って不純物を除いていく伝統の技法は変わらない。かたく、無骨な印象の鉄も、熱せられるとやわらかく、しなやかに姿を変える。地方の手仕事が生き残るには、そうした柔軟な発想が求められているのかもしれない。

鍛冶工房 弘光
住所島根県安来市広瀬町布部1168-8
webhttp://kaji-hiromitsu.com/

萩原健太郎(はぎはらけんたろう)

ライター、フォトグラファー、京都造形芸術大学非常勤講師。1972年生まれ。大阪府出身。関西学院大学卒業。株式会社アクタス勤務、デンマーク留学などを経て2007年独立。デザイン、インテリア、北欧、建築、手仕事などのジャンルの執筆を中心に活動中。著書に『民藝の教科書①~④』(グラフィック社)、『北欧とコーヒー』(青幻舎)、『北欧の日用品』(エクスナレッジ)、『写真で旅する 北欧の事典』(誠文堂新光社)、『北欧デザインの巨人たち あしあとをたどって。』(ビー・エヌ・エヌ新社)などがある。8月には最新刊『伝統こけしの本』(スペースシャワーブックス)を出版予定。
http://www.flighttodenmark.com/

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