弘前から電車とバスを使って少し足を伸ばします。向かったのは五所川原、そしてさらに日本海に近いつがる市の稲荷神社まで。ここには東北一と言われる大きさを誇る千本鳥居があります。五所川原市では立佞武多(たちねぷた)の展示館を見て大興奮でした。五能線「リゾートしらかみ」でローカルな鉄道旅も楽しんじゃいます。
画像1: 青森空港から行く1泊2日 青森県津軽地方の旅(後編)

西村 愛

2004年からスタートしたブログ「じぶん日記」管理者。47都道府県を踏破し、地域の文化や歴史が大好きなライター。
島根「地理・地名・地図」の謎 (実業之日本社)、わたしのまちが「日本一」事典 (PHP研究所)、ねこねこ日本史でわかる都道府県(実業之日本社)を執筆。 サントリーグルメガイド公式ブロガー、Retty公式トップユーザー、エキサイト公式プラチナブロガー。

画像2: 青森空港から行く1泊2日 青森県津軽地方の旅(後編)

前編はこちら

五所川原の立佞武多に感動しつつ戻ってきた弘前。街をぶらぶらしながら、弘前のねぷたのことを考えていました。やっぱりここで、ねぷたを見ておかないと後で後悔しそう…。そこであれこれと街を探索開始です!無事「扇型ねぷた」も見学でき、ねぷた作りと地元に根付いた祭りの文化を考えます。

それは突然に。ねぷた絵師との出会い。

五所川原の「立佞武多の館」で見た立佞武多に感動を覚え弘前まで戻ってきてやっと見れた「岩木山」。夕日をぼーっと眺めていたらひとつの疑問が浮かびました。考えてみたらあんな大きなねぷたを一体どこで作っているんでしょう?そう思い、弘前であれこれと調査をしていた中、面白い情報が偶然にも聞けました。
私が訪問した7月初旬は7月末から8月にかけての県内各地のねぶた制作に一番大切な時期だとのこと。知り合いにねぷた絵師がいて、ちょうど今時期は絵の創作中だから見に行ってみてはどうだ?と思いがけないお話をいただき、早速訪問することに!

青森県内には沢山の絵師の方がいて、中には絵師であることが職業、という方もいるほど。訪問したのは、子供の頃から絵師の家に生まれ、先生に弟子入りし、今年で16年目という方の作業場。今年行われる各地のねぷたの図柄8枚分を任されているとのこと。ねぷたには前後に1枚ずつ絵を貼ることから、全部で16枚描くことになります。これは大変な仕事です。地べたに置いた和紙に絵を描きながらも、それが骨組みに貼られ立った時の姿や、中に照明を入れたイメージなど、完成形を想像しながらの作業です。

まずは全体の絵柄を決め下絵を描きます。その後大きな扇型の紙に下描きを施します。そこからの作業はほぼフリーハンドでの墨描き、その後染料をにじませながら色付けしていく。頭の中にある完成図を実際に紙の上で形にしていきます。

ロウ引きすることにより白く縁取りされ、それにより色は鮮明さを増す

ねぷたの色付けはグラデーションを効かせた「にじませ」により、立体感や迫力を際立たせる手法。しかしそうした染料の使い方は色と色との境界がぼんやりとにじみ合ってしまい、くっきりと題材を見せることが出来ません。そこで使われるのが「ロウ引き」です。布染色などでも使われるろうけつ染めと同じく、ロウを塗ったところだけが水分を弾き、そこの色を白く抜いてしまう方法です。ロウを塗ったところが照明を強く通し題材をはっきりと描けるだけでなく、力強くかっこよい絵にするための効果的な方法です。

この絵師さんの場合は主に5色の色を使いながらも特に赤色へのこだわりを持っていて、重たすぎず軽すぎず、ライトが入ったことを想像しながら自分の思う赤を差すのだそう。

ねぷたは勇ましく戦う戦士や、歌舞伎の題材、三国志の英雄などが描かれることが多く、これらはもともとこの祭りが「喧嘩ねぷた」であったことが関連しています。お互いにぶつかり合ったり石を投げて破ったりすることで競いあっていたのです。この競い合いがねぷたの巨大化や絢爛豪華さにつながり、また修復しやすいような形=立体的ではなく扇型、などに変化していきました。弘前のねぷたには立体的なものと扇型の両方があるということです。

津軽藩ねぷた村でねぷたの歴史やねぷたマインドを感じる

夜、弘前駅の周辺で煌々と明るい倉庫があります…。よく見るとねぷたの骨組みを作っている「ねぷた小屋」でした!早速声をかけて中を拝見します。自分たちのねぷたは自分たちで作る。老若男女が集まって仕事帰り、夜までかかってねぷたの整備や骨組みを作っていました。

翌日、弘前城近くの「津軽藩ねぷた村」へも行ってみました。こちらでは沢山の絵師の紹介や弘前ねぷた最大級の7メートルの高さがある扇型ねぷたを見ることができます。ねぷたは民間、特に農民から発生したお祭り。それ自体は一年のうちのたった数日間であるものの、文化としての占有率や子供の頃からのねぷたにかける情熱は、青森の人々の生き方に大きく影響を与えてきたと感じました。もちろん、その関わり方は千差万別、多様化している時代ではあるけれど、青森県を語る上でねぶた・ねぷたを抜きには話せないと思うのです。

数日間に凝縮させた情熱が、また次の一年に受け継がれていく。様々な人たちの想いで出来上がっている祭り、それがこの街に息づく夏祭りでした。

※通常ではねぷた絵師様の工房には立ち入りができません。またねぷた骨組み制作現場についても許可なく立ち入ることはできません。

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