歌人 / 小説家の加藤千恵さんが綴る、ある旅の物語。
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文:加藤千恵 イラスト:Chihiro Honda
関連リンク: 北海道・旭川を巡る前編 『冬には冬の』
飛行機は上昇し、さっきまでいた北海道の光たちが遠ざかっていく。夜空の中で、確認できるものがほとんどなくなってもまだしばらく、窓の外に目を向けていた。窓に反射する自分の顔は、我ながら、まだ旅の興奮を充分に残している。
少しして、機内誌のエッセイを読んでいると、ドリンクサービスが運ばれてきた。わたしの隣にいるお姉ちゃんは、差し出されたメニューを受け取ることも見ることもせずに、コンソメスープください、と言った。わたしはコンソメスープに惹かれつつも、行きの機内でも飲んだので、あえて別の飲み物、キウイジュースを選ぶ。
渡された紙コップの中のキウイジュースは、適度に冷えていて、おいしい。甘みと酸味がある。自分の喉が渇いていたことに、飲みながら気づく。
「コンソメスープ、好きだね」
お姉ちゃんに言うと、お姉ちゃんはさも当然だという感じで頷き、おいしいから、とそれもまた当然のように言った。わたしも同意のつもりで頷く。
また機内誌をぱらぱらとめくり、興味のあるページを読んでいるうちに、お姉ちゃんは目を閉じていた。両手を膝の上で組んでいる。まだ起きているとは思うけど、寝ようとしているみたいだった。案外本当に眠っているのかもしれない。昨日の夜、旭川のホテルでも、シャワーを浴びると、すぐに眠りにつき、いびきとは言わないまでも大きめの寝息を立てていた。てっきり、この姉妹旅行のきっかけともなった、別れた彼氏の愚痴でも聞かされるんじゃないかと思っていたので、少しだけ拍子抜けだった。
機内誌をシートポケットに戻すと、わたしも目を閉じた。眠気は訪れないので、今日の札幌旅行の記憶をたぐり寄せていく。
お姉ちゃんがわざわざA4サイズの紙に、行程をまとめてくれただけあって、観光は順調だった。昨日観光してホテルにも泊まった旭川から、札幌まで特急で一時間半ほどということや、札幌駅から、新千歳空港まで特急で三十分強ほどという移動の場面で、ところどころ、北海道がいかに広いのかを思うことになったけど、そうした時間すら楽しかった。旅行してるんだなあという感覚が自分の中で強まるのを感じていた。
赤レンガ庁舎、テレビ塔、時計台。ガイドブックに載っていそうな、札幌市内の有名な観光スポットを回った。寒いね、と言い合いながら歩いていたけど、東京の寒さとは種類が違うとも思った。気温的にはもちろん北海道のほうが低いけれど、風の冷たさや、突き刺さる感じの寒さは、なんなら東京のほうが強く感じる気がする。そう言ったら、お姉ちゃんも、わたしも同じこと思ってたよ、と強く同意してくれた。
お昼ごはんとして、「スープカレーGARAKU」で食べた、具だくさんの、それぞれからエキスが出ていると感じさせる、まろやかなスープカレーの旨味に、おいしいね、おいしいね、と言い合っているときに、お姉ちゃんがぽつりと言った。
「来られなくて、ざまあみろって感じ」
主語はなかったけど、誰のことを指しているのか、もちろんすぐにわかった。お姉ちゃんの、別れたばかりの彼氏。
わたしはどう答えるべきか迷った。昨晩は、4股をかけていたというその男について、さんざん、妖怪よんまた、などと子どもみたいなめちゃくちゃな悪口を言い合っていたけど、お姉ちゃんのつぶやきは、どこか寂しそうにも響いたので、昨晩と同じような調子で乗っかっていいのかわからなかったのだ。
わたしは、お姉ちゃんの目の前に置かれたスープカレーのお皿に、自分のお皿の中から、豚しゃぶを一枚とって渡した。豚しゃぶは、わたしの頼んだほうのメニューにだけ入っているもので、お姉ちゃんの頼んだほうには入っていない。
「これ、なぐさめ?」
お姉ちゃんは笑いながら、わたしが入れたばかりの豚しゃぶをスプーンで取り、口にした。おいしい、と言って、でも豚でなぐさめられるのってどうなんだろう、とまた笑った。なぐさめとかじゃないけど、とわたしは言い、寂しそうなのはかわいそうだから、という後半は心の中だけで言った。
「起きてる?」
隣の席のお姉ちゃんに話しかけられ、わたしは、目を開けながら同時に、うん、と言った。意識が飛行機の中にまたうつる。
「あのさ、お父さんとお母さんに買い忘れちゃったね、おみやげ」
「あっ、ほんとだ」
「あんなに空港でふらふらしてたくせに、うちら、親不孝すぎるね」
「どうしよう、いっそ内緒にする?」
「確かに、いきなり姉妹で旅行してきたなんて言ったら、何があったのか詳しく聞かれちゃうし、妖怪よんまたについても話すの面倒だしなあ」
「ひどい姉だね」
「ひどい妹だね」
わたしたちは互いに言い、小さく笑う。結局北海道旅行については、両親には言わないままやって来てしまった。せめてもの気持ちとして、大学が春休みのうちに、実家に長く帰ることにしよう。
「大人だから、自由だね」
お姉ちゃんが言う。わたしは今日行った六花亭でのお姉ちゃんの発言を思い出す。
六花亭の喫茶室には、店舗限定だというデザートが六種類もあって、メニューを見ながら、決められないね、と迷いに迷っていると、お姉ちゃんが、ひらめいたかのように言ったのだ。
「よし、全部頼んでシェアしようよ」
「全部?」
周囲のお客さんにも聞こえてしまいそうなほど、驚きの声をあげたわたしに、お姉ちゃんは言ったのだ。なぜか小声で、秘密を教えるみたいに。
「あのね、好きな食べ物を好きなときに好きなだけ注文するために、人は大人になるんだよ」
何それ、と言ったわたしに、自分でもわかんない、とお姉ちゃんは笑ったけど、六種類のデザート注文は実行され、わたしたちは実際に全部を分け合った。もしさっきの言葉が本当なら、わたしは大人になれて嬉しいし、もっと大人になってやろうと思う。
来月からは就職活動も始まる。社会人になって、また北海道に来る。窓の外の暗闇に目を凝らしながら、わたしはひっそりと決意する。
加藤千恵
1983年北海道旭川市生まれ。2001年、『ハッピーアイスクリーム』(現在、集英社文庫)にてデビュー。小説、詩、エッセイの他、ラジオなどのメディアでも幅広く活動中。近刊に『ラジオラジオラジオ!』(河出書房新社)、『こぼれ落ちて季節は』(講談社文庫)、『点をつなぐ』(ハルキ文庫)など。
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