熊本県のマスコットキャラクター「くまモン」の仕掛け人である小山さんは、多数のグルメ本を出版するほどの食べ歩き好きであり、大のホテル好き。全国の名店、名ホテルを知り尽くした旅のスペシャリストは、機内食から羽田空港のラウンジのプロデュースまで、JALとも数え切れないコラボレーションを行なってきた。そんな彼が語る、自由な旅の楽しみ方とは?
文:杉原環樹 写真:南阿沙美
人生に「偶然の出会い」を。小山薫堂が1か月間の旅に出た理由
OnTrip JAL編集部(以下、JAL):多忙で知られる小山さんが、50歳になった記念に行った1か月間の旅は、テレビのドキュメント番組でも放送されて注目を集めました。長期休暇を取り、「人生のハーフタイム」をテーマにした「旅」を実行したのはなぜでしょうか?
小山:1か月間の休暇ですからね、いろいろと考えました。断食道場に通ってダイエットしようとか、サーフィンやゴルフを極めようとか。そのなかでも「旅」を選んだのは、セレンディピティー、つまり「偶然の出会い」の種を自分に蒔きたいと考えたからです。
旅には、予期せぬ誰かとの出会いや体験がある。その経験の種は、すぐには芽を出さないかもしれないけど、どこか記憶の深い部分に残り、今後の人生のなかできっと発芽するんじゃないか。そのための種まきを、この時期にしておきたかったんです。
JAL:もともと、旅はお好きだったんですか?
小山:旅というよりも、小さいころからホテルや乗り物が好きでしたね。でも、学生時代からテレビの仕事を始めたので、1か月も休みが取れたことはなかった。それで、49歳のときに会社のみんなに宣言をしたんです。「50歳になったら1か月、休むよ」と。これが直前ならば許されないですけど、1年前だからまだみんな実感がなくて、許してくれましたね(笑)。
JAL:じゃあ、1年前から着々と準備を進めて……。
小山:と思いきや、休みに入るまでほとんど何も決められなくて。ぼくは旅のあいだ、必ず日記をつけるんです。ところが休暇がはじまる前日のページを振り返ると、「用意周到に休みを確保したのに、肝心の内容が決まってないなんて情けない」と書いてありました(笑)。でも、これも自分らしいかなと。
休みは2014年の7月1日からスタートしたのですが、旅の全体像が決まったのは、やっと7月11日のことです。
JAL:具体的には、どんな場所を訪れたのでしょうか?
小山:訪れた順に並べると、仙台にはじまり、パリ、ストックホルム、いったん帰国して、仙台の歯医者へ(笑)。その後、和歌山県から熊野古道を歩き、ニューヨーク、イスタンブール、ヴェネツィア、ツェルマット、プラハ、ふたたびストックホルム。終盤はバルト海を船でめぐって、サンクトペテルブルクから帰国しました。
行き先は「行ってみたい都市」と「好きな都市」で選びました。イスタンブールやツェルマット、プラハは行きたかった都市です。でも、どの場所も滞在は1〜3泊に収めました。
JAL:忙しいですね(笑)。
小山:本当に、休みとは思えないですよね(笑)。
JAL:でも、移動そのものがお好きなんでしょうね。
小山:そうなんです。移動の時間は、自分と向き合える時間だと思います。とくに飛行機の移動は、世界を俯瞰で見られる。悩みがあるときも、世界には人の数だけ悩みがあるんだろうなと考えると、すごくラクになる。等身大の自分から少しズラして、目先のことを相対化できる。だから、移動が好きなのだと思います。
「こんな悔しさを普段感じることはない」。ガムラスタンの悪党から学んだお金の価値
JAL:主な行先に海外の都市が並ぶなかで、熊野古道が気になりました。こちらには、なぜ?
小山:やったことがないことをしたかったんです。それこそ最初は1か月でお遍路の旅をしようかとも考えたのですが、四国のお坊さんから「夏のお遍路はかなりキツいよ」と聞いたこともあり、同じような修行の効果を2泊3日で得られる熊野古道を選びました(笑)。
普段は運動をしないので、じっくり身体について考える余裕なんてなかったのですが、「歩く」という漢字は「少し止まる」と書くなとか、「休む」という漢字は「人が木になる」と書くなとか、歩いているといつもは考えないことが頭のなかに浮かびました。
「歩き続けること=止まってはいけない」ではないと思うんです。むしろ、「歩くためにときどき止まれ」。そうした含意を、「歩」の字からは感じます。何かを継続しようと思ったら、たまには自分を見つめ直す時間を持つことも重要だと思うんですね。
JAL:その学びは、そのまま小山さんの旅の目的とも重なりますね。この旅で、もっとも印象的だった瞬間は何ですか?
小山:嫌なことほど記憶に刻まれるもので、ストックホルムでお金を失ったことです。
JAL:え!? いったい何が……。
小山:道端で賭けごとをしている男たちがいたんです。その男たちに声をかけられ、騙されてしまい、わずか数分のうちに手持ちのお金をほとんど失いました。
JAL:それは不運でしたね……。
小山:悔しくて腹が立った。でもその直後、ストップモーションの芸をする大道芸人に出会ったのですが、チップを渡すことに躊躇がなくなっていることに気づきました。お金は使い方によって生きも死にもする。騙されて失ったお金は死んだも同然ですが、生きたお金になるなら、何も惜しくないなと。
当日の日記を振り返ると、そのあとに行ったレストランで考えたこととして、「ミートボールとサーモンマリネ、ビールと赤ワイン。あの無意味な男どもに5万円も払ったことを思うと、ここでの120ユーロなんて生きたお金そのものだ。今日の事件によって、お金の価値をあらためて知った。ありがとう、ガムラスタンの悪党どもよ」とも記されています(笑)。
JAL:最後にはきちんと、「オチ」と「気づき」があるのが小山さんらしいですね。
小山:こんな悔しさを普段感じることはないし、旅の途上だからこそ、その経験からお金の価値という部分まで思考が行ったんだと思います。この旅を通して、総じてぼくは少年に戻った気がしました。つまり、若いころのように好奇心旺盛になったということ。
学生時代は、旅先での空いた1時間も惜しかったんです。当時訪れたニューヨークでは、わざわざイタリアの食材を扱う店にチーズを買いに行くなどして細かく予定を埋めていました。でも、歳を重ねると、そうしたことが面倒臭くなるんですよね。この1か月間の長旅で何かが劇的に変わったわけではないのですが、将来ジワジワ効いてくるはずの何かは得られたように感じました。
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