「なぜ一つの企業が、これほど首里城復興に力を注ぐのか」と疑問に感じられるかもしれません。実はその背景には、JTAが1967(昭和42)年に沖縄で誕生して以来、「うちなー(沖縄)の翼」として地域に根付き、地域と共に歩み続けてきた歴史が深く関わっているのです。
「まずJTAに相談を」。うちなーの翼が築いてきた、沖縄との距離
1967年、前身の南西航空として沖縄で誕生したJTA。沖縄の島々を結ぶ離島路線を安定して運航することを大きな使命に掲げ、沖縄の経済成長や観光の発展と共に歩みを重ねてきました。その役割は、空の便を担うことだけにとどまりません。二次交通、伝統文化の継承、環境保全、サンゴの再生など、地域の企業や団体と手を取り合いながら、沖縄が抱えるさまざまな課題に向き合ってきました。
沖縄県庁より出向し、現在はJTAで地域との連携に携わる部署に所属する翁長孝憲は、その距離の近さを日々実感しているといいます。

翁長「地域の企業との連携は多岐にわたりますが、県内でイベントを開催される際、『まずJTAに相談したい』『一緒に取り組めないか』とお声がけいただくことが本当に多いです。頼りにしていただける存在であることを、とてもありがたく感じています」
県庁の観光部署に在籍していた頃は、行政の立場からJTAを見てきました。
翁長「特に離島へ向かうときは、県民にとっても観光客にとってもJTAが“足”。県庁から沖縄の観光情報を届けるうえで、機内誌や機内モニターを活用させてもらうことがいちばん効果的だと、庁内では話していたほどです。限られた空間で一定の時間を過ごす機内であれば、じっくり情報を届けることができます」
一方、首里城の近くの高校に通っていた翁長にとって、首里城は日常の風景の一部だったともいいます。
翁長「放課後に友達と来て、おしゃべりをするような場所でした。あって当たり前の存在だったんです」
「あって当たり前」の首里城正殿が消えた日

写真提供:首里城公園
2019年10月31日未明、正殿をはじめとする建物が焼失しました。出張で東京にいた翁長は、朝のネットニュースで火災を知りました。
翁長「本当に、現実とは思えませんでした。その場で一緒にいた県外の方々が『大丈夫ですか』と声をかけてくださって、『大丈夫ではないと思います…』と答えたのを覚えています」
当時首里に住んでいたのが、(一財)沖縄美ら島財団(以下、沖縄美ら島財団)で首里城の解説員を務める松田幸乃さんです。2012年から首里城の案内に携わってきた松田さんは、夜明け前に職場から届いた「自宅待機」の連絡で異変を知りました。

松田さん「知人から『首里城が火事だよ』と連絡があってテレビをつけると、生中継で燃えている様子が映っていて。外に出てみると、暗い夜空のなかで、首里城の方向だけが赤く染まっていました」
火災の後、松田さんは首里城が持つ意味を改めて実感したといいます。
松田さん「普段の案内では観光の方がほとんどで、地元の方はそれほど多くありません。でも火災の後、地元の方が自分のことのように悲しむ姿や、足を運んで気にかけてくださる姿を見て、首里城はやはり沖縄の人のアイデンティティを示す、象徴的な存在だったんだと感じるようになりました」
火災当日に動き出した支援。根底にあった「沖縄のために」
悲しみに包まれた沖縄で、JTAは火災当日から動き出しました。JAL・JTA・RAC(琉球エアーコミューター)の連名でお見舞いのメッセージを発信し、県内の空港カウンターにも掲出しました。
そのほか、JALチャリティーマイルによる寄付の募集や「首里城応援ツアー」の設定、首里城再建応援商品の機内や空港売店での販売など、さまざまな企画を実施し、その売り上げの一部と、JTAを含めたJALグループ社員の寄付などを合わせた支援総額は8,300万円になりました。
なぜ、これほど早く動くことができたのか。翁長はこう語ります。
翁長「根底にあるのは、我々が『うちなーの翼』として、創立当初から『沖縄と共に』歩んできた会社だということです。こうした大惨事のときに、沖縄のために今、自分たちに何ができるのか。すぐにできることから取り掛かったのは、会社の考え方として自然なことだったと思います」
どの部署にも「沖縄のために」という同じ思いがある。それこそが動きの早さにつながっているのだといいます。
空に描いた「希望」。航空会社だからこそ、届け続けられた思い
JTAを中心としたJALグループの支援は、一度きりでは終わりませんでした。本業である航空事業での機内空間を生かし、全国に向けて首里城復興の機運を醸成し続けてきました。
2020年1月から翌年4月にかけて、首里城と「希望」の文字を描いた特別デザイン機を運航。那覇空港でも地上器材に同じデザインのラッピングを施し、チェックインカウンターの大型モニターや見送りの横断幕で、復興へのエールを送りました。
機内誌『Coralway』では、2022年1月より開始した「ともに歩む首里城」で復興の進捗を紹介し、皆さまからいただいた寄付により復興がどのように進んでいるのかを継続的にお伝えすることで、皆さまの思いに寄り添ってまいりました。
翁長「沖縄に根ざし、その魅力を国内外へと運んでいくこと。それが私たちの強みです。世界自然遺産や離島など沖縄各地の価値を発信し続ける中で、シンボルである首里城についても自然と発信を重ねてきました」
そうした姿勢の背景にあるものを、翁長はこう表現します。
翁長「弊社は『沖縄の未来を、共に拓く翼』というありたい姿を掲げています。沖縄県民のために何ができるかを考えた結果が、支援の継続につながっているのだと感じます」
こうした発信や、地域と共にあろうとする姿勢は、首里城の現場にも届いていました。
松田さん「『Coralway』に私たちのガイドツアーを紹介する小さなコラムを載せていただいたことがあって、それを見て参加してくださった方もいました。飛行機に乗った方に、今の首里城の状況をこうしてお知らせしてくれているんだと、励みになりました。
またJTAさんは、首里城の特別デザイン機のお披露目式で、首里の保育園の園児たちによる旗頭やエイサーなどのイベントを開いてくださいました。地域と共に再建していこう、という気持ちが伝わってきて、とてもうれしかったですね」
正殿の完成は「ゴール」ではなく「スタート」。首里織と共に、文化を未来へ
2026年11月23日、正殿が一般公開を迎えます。この7年間、復元の現場を見つめてきた松田さんは「長いようで、あっという間でした」と話します。

松田さん「火災直後から、あちこちで『復興・再建を』という声が上がりました。いろいろな人の思いが、今、形になって目の前にある。人の力ってすごいと、日々感じています」
復元の現場は、技術継承の場でもありました。一部の職人しか持たない技術も必要とされる中、県内外の多くの人の思いと技によって、今の首里城正殿は形づくられてきたのです。
松田さん「当時の名もなき職人さんたちの技が、現代の職人さんに受け継がれ、令和の今に忠実に復元されている。人はいなくなっても、技術は受け継がれていくんですね」
翁長「国や県が議論を重ねて、漆塗りや色について、丁寧に時間をかけて検討してきました。技術者の方々の力、寄付をしてくださった方々、皆さんの思いがあって、この秋に一つの節目を迎えます。関係者の皆さんとお祝いできる、素晴らしい機会だと思います」
JTAはこの節目を、沖縄文化を未来へつなぐ新たなスタートと位置づけています。正殿の一般公開に合わせ、11月から約半年間、クラスJのヘッドレストカバーに「首里織」のデザインを採用。沖縄美ら島財団、那覇伝統織物事業協同組合と連携し、琉球王国時代から受け継がれてきた王家や貴族ゆかりの格調高い伝統織物を機内に取り入れ、旅の始まりと終わりに正殿完成の感動を届けます。
また、ヘッドレストカバーと連動し、首里織デザインのオリジナルグッズの機内販売も実施。売り上げの一部を「首里城基金」へ寄付し、持続可能な地域経済の循環と首里城の文化継承の一助となるよう取り組んでいます(その他の取り組みはプレスリリース参照)。
一人ひとりの首里城復興への想いをかたちに。首里城正殿完成記念プロジェクト始動
| web | : | プレスリリース |
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翁長「正殿は完成しますが、ほかの建物の復元はこれからも続き、数年かかるとも言われています。JTAとしてこれからも首里城全体の復興に携わっていきたいですし、子どもたちにも首里城の存在を知って、誇りに思ってほしいですね」
県庁から出向した翁長は、企業の社会貢献について、こんな発見もあったといいます。

翁長「正直に言うと、着任前は、企業として直接的な利益に直結しない活動にどう取り組んでいるのか疑問に思っていました。でも実際には、県民の皆さまや企業との連携が生まれ、物事が円滑に進んでいく。沖縄の魅力をどう伝えていくかを大切にする姿勢は、『選ばれる観光地』を目指す行政とも共通していると感じます」
新しい首里城へ。その先に広がる、首里の街まで

最後に、これから首里城を訪れる方へのメッセージを伺いました。
松田さん「完成した外観はもちろん、ぜひ正殿の内部も見ていただきたいです。正殿は『巨大な琉球漆器』ともたとえられます。使われている技術は美術工芸品とまったく同じ。宮大工さん、瓦の職人さん、漆を塗る職人さんと、さまざまな分野のエキスパートの技術を結集して作られていて、沖縄の文化の高さを象徴する存在なんです。詳しくは私たちガイドがご紹介しますので、気軽に声をかけていただきたいですね」
翁長「焼失前にご覧になった方も、令和の復元ならではの技術を見に来ていただきたいです。首里城はとても広いですし、周辺の首里の街並みや暮らしの中にも、伝統と文化が息づいています。ぜひ首里城をきっかけに、首里の街も歩いてみてください」
「うちなーの翼」が7年間つなぎ続けてきた思いは、よみがえる首里城と共に、新たな世代へと受け継がれていきます。次の沖縄の旅では、首里織デザインのヘッドレストカバーに触れた機内の感動をそのままに、新しくよみがえる首里城、そして首里の街へと足を運んでみてはいかがでしょうか。
首里城公園(首里城公園管理センター)
| 住所 | : | 沖縄県那覇市首里金城町1-2 |
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| 電話 | : | 098-886-2020(8:00~18:00) |
| web | : | 首里城公園 公式サイト |

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