菊池の街をくまなく探索!ということで、温泉街をスタートして色んなところを歩きます。まずは肥後の石工が遺した江戸時代の石橋。加藤清正が作ったと言われる「築地井手」にも大正時代の石橋がありました。さらには菊池一族がいた時代、7つの城があったことからその地名になったという道の駅「七城メロンドーム」へ。
画像: 熊本県菊池市 歴史と湧水を巡る旅(後編)

西村 愛

2004年からスタートしたブログ「じぶん日記」管理者。47都道府県を踏破し、地域の文化や歴史が大好きなライター。
島根「地理・地名・地図」の謎 (実業之日本社)、わたしのまちが「日本一」事典 (PHP研究所)、ねこねこ日本史でわかる都道府県(実業之日本社)を執筆。 サントリーグルメガイド公式ブロガー、Retty公式トップユーザー、エキサイト公式プラチナブロガー。

前編はこちら

地元の石工、伊助によって掛けられた現役の石造アーチ橋「迫間(はざま)めがね橋」。

全国に残る石造りのアーチ橋(めがね橋)の9割ほどは九州に現存あります。なかでも江戸時代に造られた石橋が最も多く残るのが熊本県。その背景には八代郡種山村(現八代市東陽町)の「種山石工衆」と呼ばれる高い技術を持った石工集団の存在がありました。

迫間川にかかる迫間橋は経費がかかるとのことで地元・西迫間の伊助が手掛けました。伊助は大変な腕があったと思われ、江戸時代文政12年(1829年)製のこの橋は190年間にも渡って人々の生活を支えてきました。橋ができたことにより地域と地域がつながれ、そこで暮らす人たちを豊かにしてきたのです。また石橋の建造は、石工を集めるため奔走し、私財を投じた者もおり、多くの努力によって造られてきたものです。古びの美しさ、Rを描く意匠と渓流との景観は見事なものですが、観光客が少ないのがとても残念です。
人はもちろん車も通過することができる、なくてはならない橋であると同時に、美しい景観を今の私たちに残してくれています。

加藤清正が引いたと言われる用水路「築地井手」を歩く。

私が宿泊していた「菊池グランドホテル」からスタートし、菊池川と合流するまでの「築地井手」を歩いてみました。この築地井手は加藤清正公の時代に築かれたと言われ、田畑を潤す用水路として、また生活用水、防火用水として活用された人工の川です。その水の清らかさはお墨付きで、ホタルの生息地としても有名です。
一級河川菊池川へと合流する場所には、大正時代に建造された4つの石桁を持つ石橋があります。石桁は船の舳先のような尖りがあり、水量の多い川に対し水の抵抗を受けないよう設計されています。

ビックメロンな道の駅へ!「七城メロンドーム」でメロン果肉たっぷりソフトクリームを。

菊池氏が拠点としていた守山城を囲むように18の城(菊池十八外城)がありました。そのうちの7つがあったことから「七城」という地名になった場所があります。ここはお米やメロンの生産が盛んです。一年中品種を変えながら作られるメロンは、道の駅「七城メロンドーム」で糖度や大きさで選別され、出荷されます。
メロンドームでは、出荷されたメロンやそのメロンを使ったジュースやソフトクリームが楽しめます。ここで食べられるソフトクリームは熊本県内の「道の駅ソフトクリーム総選挙」で見事1位に輝いた大人気のスイーツです。

掲載の内容は記事公開時点のもので、変更される場合があります。

This article is a sponsored article by
''.