そんな水野さんが世界中で出会った、その国々、街ならではの「ローカルなカレー文化」を紹介する連載。
第3回目は、マカオで大人気だという「カレーおでん」。なぜマカオでおでん? しかもカレー? 疑問はつきませんが、さっそく現地に向かった水野さんはカレーおでんをきっかけに、中国、インド、さらにポルトガル、アフリカ大陸のモザンビークにまで想いを馳せていきます。
カレーおでんのルーツとは、いったいどういうものだったのでしょうか? いったん足を踏み入れたら最後、奥の深い「カレー」の世界へようこそ!
文・写真:水野仁輔 編集:佐々木鋼平(CINRA, Inc.)
インドから世界にカレーがどのように伝わっていったのか?
「すべての道はローマに通ず」という格言がある。
古代ローマ帝国の全盛時、世界各地からの道がローマに通じていたことから生まれたものだ。これをカレーの世界でいうなら、「すべてのカレーはインドに通ず」となるのだろうか。
インドで生まれたカレーが、数百年かけて人とともに移動し、姿やかたちを変えて世界中で親しまれている。
その記録はほとんど残っていないため、どんな旅路の末にそれぞれの街にたどりついたのかを調べることは、答えの出ない数学の難問を延々と考え続けるようなものだ。
でも、それがぼくには楽しくてたまらない。
マカオに突如現れた「カレーおでん」とは?
マカオに「カレーおでん」というものがあるらしい、という噂を聞いたとき、その情報の意味を簡単には理解しがたかった。
日本料理である「おでん」がなぜ? しかもカレー!? そもそもなぜマカオ!?
いったいどんな食べ物なのか、具体的なイメージが湧いてこない。これは自分の目で確かめに行くしかないとすぐさま飛行機のチケットを取った。
「マカオへ行くんだ」と誰かにいえば、二言目には「カジノですか?」と返ってくる。それ以外にリアクションがあるとしたら、「香港のついでですか?」だろう。そのくらいマカオの印象は画一的だ。
香港がイギリス領だったのは有名だが、マカオが1999年まで、100年以上もポルトガルの統治下にあったことを知る人もそれほどいないだろう。
街の中心部で、カレーおでん店を大量に発見!
マカオ国際空港に降り立ち、とりあえずホテルのある街の中心部へ。
歴史的建築や美しい石畳に囲まれた、ポルトガル統治時代の名残を色濃く残すセナド広場(議事亭前地)から少し歩くと、観光客がごった返す賑やかな通りがあった。
50メートルほどの道沿いに10軒以上の飲食店がひしめき合っていて、異様な空間をつくっている。近づいてみると、ほとんどすべてがカレーおでん屋である。圧倒されてしまった。
勝手がわからず、ドキドキしながら「錦華牛雜」(マカオ新馬路大堂巷12號地下)という店の前に立つ。
カラフルな魚介の練り物を中心にさまざまな野菜、煮込んだ牛肉や牛モツ類などがずらりと並んでいる。
いくつかの具を注文すると、そこから湯がいてカップに入れ、上からシャバシャバッとしたカレーソースをかけてくれるスタイル。たいていの店が辛口か中辛かを選べるようだ。
味わってみると、だしのうま味とカレー粉の風味が調和してうまい。日本のコンビニにもこれを置いてほしい。何度でも食べたくなるような優れたファストフードである。
日本のおでんとポルトガルのカレーのハイブリッド?
カレーおでん街を後にし、歩きながら考えた。
「なぜ、マカオにおでんが?」
調べてみたところ、じつは「カレーおでん」というのは日本語で、ここを訪れた日本人が通称でそう呼んでいるに過ぎない。
現地での正式名称は、「咖哩牛雜(ガーリーニィゥザー)や「咖哩魚蛋(ガーリーユーダン)」などと言う。牛肉や牛モツ肉を選ぶのか魚の練り物を選ぶのかによって呼称が変わるのだ。もちろん、合わせ技もできる。
このカレーおでん、調べてみてもルーツがハッキリしない。
マカオにこの料理が登場しはじめたのは1980年代に入ってからのようで歴史はそれほど長くない。
地元のもつ鍋屋が生んだオリジナルメニューがルーツという説もあるし、日本の「おでん」が伝わって現地で独自に発展したものだという説もあるようだ……。
「ではなぜ、そのおでん(のようなもの)にカレーが?」
インドからカレーを持ち帰ったイギリス人が発明した「カレー粉」が、イギリスの半植民地だった時代の中国を経て伝わったのだろうか? それともポルトガルのカレーから影響を受けているのだろうか。
じつは、ポルトガルにもカレー文化がある。かつてインドを植民地にしていたことから、カレー文化が伝わった。インドのゴア州には、いまでもポルトガル料理の影響を受けたポーク・ビンダルーに代表されるようなカレーが楽しめる。
ポルトガルのカレー事情は少し複雑
ポルトガルのカレーは、ポルトガル語で「カリル(Caril)」と呼ばれている。
かつてリスボンで「Caril」を食べたことがあるが、その味わいは、カレー粉を生クリームで溶いたような簡素なものが多く、インド料理のエッセンスは感じられなかった。
ポルトガルでもアフリカ料理店へ行けば、多少はスパイス感の強いカレーに出会えることがある。
「Roda Viva」(Beco do Mexias, 11 R/C Alfama, Lisboa, Portugal)では、メニューにエビカレーとカニカレーがあった。
カニカレー(Caril de Caranguejo)は、ココナッツミルクベースの食べやすいカレーで、ラー油のような独自のチリオイルを混ぜて好みの辛さにするタイプのものだ。
ここはモザンビーク共和国の料理を提供する店だった。かつてポルトガルの植民地だった国である。
インドからインド洋を挟んだ東アフリカに位置していることから、インドからモザンビークを経由してポルトガルへカレーが運ばれたのかもしれない。
マカオのカニカレーの隠し味を解き明かす
それにしても「カレーおでん」のルーツを考えれば考えるほど、わからなくなってきた。マカオ料理レストラン「レストラン・ソルマー(Solmar / 沙利文餐廳 / マカオ南灣大馬路512號)」にも足を運んだ。
メニューを開くと、期待通りカレーがあった。しかも、いくつもある。カニカレー、エビカレー、フィッシュカレー、ビーフカレー、マトンカレー、オックステールカレー、チキンカレー、ポークチョップカレー……。おお。思わず感嘆の声をもらしてしまった。
マカオのメニューには、漢字と英語、ポルトガル語が併記されていて興味深い。たとえば、カニカレーの場合、(咖哩蟹 / Crab Curry / Caril de Caranguejo)とある。そう、ポルトガルで出会った「Caril」がここにもあるのだ。
Today’s Price(時価)と書かれてあり少々戸惑ったが、注文してみたところ、ウェイターが立派なカニを見せに来てくれた。これで600パカタ(約8,400円)近くするという。
ほかのカレーが150パカタ(約2,100円)前後だから、それなりに高価格帯のレストランだが、それにしても超高価なカレーである。
ほどなくして、カニカレーが運ばれてきた。盛りつけはだいぶ無造作だけれどおいしそうだ。しかも2人前はあろうかという量。
カニが丸ごと殻も一緒にごった煮されているようだから、食べやすそうな部分をスプーンで選んで口に運んだ。
すると、いきなり強烈なうま味が舌から脳へ駆け上った。興奮冷めやらぬまま食べ進め、勢い余って追加でポークチョップカレーをオーダーしてしまったほど。
スパイスの香りは、それほど強くなく、個性的なものでもない。きっと市販のカレー粉を使っているのだろう。甲殻類の出汁が出ているからうま味が強いのは当然だ。
でも、それだけではこの味の説明がつかない。もしかしたら、チキンブイヨンのような別鍋でとった出汁を使っているのかもしれない。
店員に聞いてみることにした。
「このカレー、すごくうまいんですが、つくるのにかなり時間をかけているのですか?」
「いや、そんなことはありません。15~20分ほどでできます」
「たしかにすぐに来ましたもんね。何かブイヨンとかスープを使って煮込んでいるとか?」
「そういうものは使っていません。野菜とカニをカレー粉で炒めただけなんです」
「しょう油のような発酵調味料も?」
「使っていません」
ウソだ。いや、ウソかどうかはわからない。でも、ぼくの経験上、素材を油とカレー粉で炒めただけであんな強いうま味は生まれない。
そこでハッと気がついた。そうか、中国料理でよく使われるチキンパウダーのような調味料が入っているんだ。
もう一度、カニカレーを口に運んでみる。ごくりとやった後に口のなかに残る味わいには、素材そのものを超えた強烈なうま味が感じられる。やはりチキンパウダーの可能性が高い。
だとすると、マカオ料理には中国料理の影響が及んでいることになる。ポルトガルで食べたカレーにはなかった類のおいしさである。
カレーおでんを巡る旅は、果てしなく続く
マカオにポルトガル人が到来したのは、1513年といわれている。当時、インド西海岸のゴアや東南アジアを植民地支配していたポルトガルは、マカオを拠点に中国の明王朝と貿易をしていた。
これらの交易の影響を受けてスパイスは各拠点を行き来し、マカオには、「中国料理×ポルトガル料理×インド料理」がハイブリッドした独自のカレーが生まれたと推測できる。
そして、そこになぜかおでん(のようなもの)が加わり、「カレーおでん」が生まれた。きっとマカオの人々による創意工夫によるものだろう。
「すべての道はローマに通ず」は、「目的までの手段や方法は何通りもあるが、真理はひとつである」ことを意味する表現として使われている。
マカオで食べたあの正体不明のカレーおでんが、どうやって伝播したのか、そのルートを突き止めるのは至難の業だ。
「CURRY」という名のつく料理は、世界各地に姿を変えて存在する。それがその地に生まれるまでには、おそらく、追いきれないほど多様な食文化が融合し、アレンジが進んできたのだろう。
カレーの全容を解明し、真理をこの手につかむためには、これからも旅を続けなくてはならない。
水野仁輔(みずの じんすけ)
株式会社エアスパイス代表取締役。レシピつきのスパイスセットを配送するサービス「AIR SPICE」の立ち上げ、コンセプト、商品、レシピ開発を手がける。カレーをコミュニケーションツールとして「ハッピーな空間」をつくることを目標に活動している出張料理ユニット「東京カリ~番長」の中心メンバーとして全国各地へ出張し、これまで1,000回を超えるライブクッキングを実施。カレーやスパイスに関する著書は40冊以上。
http://www.airspice.jp/
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