第1回目は、まだ日本でも知る人ぞ知る、南インド料理「チェティナードカレー」。ひょっとしたら数年後、「日本でブームを巻き起こすかもしれない」と水野さんが期待するこのカレーの魅力、秘められたポテンシャルとはいったい何なのでしょうか? チェティナードカレーを巡るアジアの旅レポートを読めば、カレーが食べたくなること必至。誰でも自宅でつくって食べられるレシピについても教えていただきました。
文・写真:水野仁輔
王者バターチキンカレーに匹敵するポテンシャル。チェティナードカレーとは何か?
日本のカレー界には長年、その人気により絶対王者に君臨してきたカレーがある。バターチキンだ。甘酸っぱく濃厚でクリミーなカレーをフカフカのナンで食べるというおいしい体験は、これまでいったいどれだけの日本人の心を奪ってきただろうか。バターチキンを入り口にカレーのより深い世界に興味を持ち、インド料理の扉を開いた人は多いはずだ。「泣く子も黙るバターチキン」とぼくは呼んでいるが、もっと素敵なキャッチコピーをつけたい魅力的なカレーである。
ただ、功績がすごいとはいえ、日本におけるインドカレー人気がバターチキンにいつまでもオンブにダッコなわけではない。最近は、南インド料理が注目を集め、ライスを主食にスパイスを使ったさまざまなお惣菜やカレーを合わせる「ミールス」と呼ばれるスタイルが人気を獲得しつつある。ぼくも大好きな料理だが、いくつかの料理を一皿に盛り合わせているから、インパクトに欠ける。もっとわかりやすいヒーローのような存在になりうるカレーはないだろうか。そんなことを考えていたぼくは、あるカレーに出会った。
名前を「チキンウップカレー(塩チキンカレー)」という。やたらと塩気がきついカレー、というわけではない。ドライにして濃厚。厳選されたシンプルなスパイス使いが際立ち、刺激的な香りに彩られたチキンカレーで、鶏肉のうま味がやたらと引き立つ味わいだ。
錦糸町にある「ヴェヌス」というインド料理店のオーナーシェフ、ヴェヌゴパールさんがつくってくれた。はっきりとメリハリの利いた味わいにぼくはぞっこんになった。聞けば、インド南部にあるチェティナード地方のカレーだという。「チェティナード」というその言葉の響きにバターチキンを超えるポテンシャルを感じてしまった。
南インドで、スパイスをたっぷり使ったリッチなチェティナード料理を学ぶ
ヴェヌスで食べた「チキンウップカレー」の衝撃が忘れられず、日本でチェティナード料理に関して探ってみたが、なかなか具体的な情報が手に入らない。現地で食べ、現地で習いたい。ぼくは、ダイヤモンドの原石を見つけに行くような気持ちで南インドのタミル・ナドゥ州に飛んだ。
チェティナードとは同州にある地域の呼称で、カライクディという街にチェティナード料理を教えてくれるホテル「ザ・バンガラ」があるらしい。ホテルに到着するとオーナーであるマダムと話をし、シェフによるクッキングデモンストレーションを依頼した。いくつかのカレーをつくってもらえるようだ。
チェティナード地方には、その昔、チェティアールと呼ばれる商人たちがたくさんいた。彼らの特徴は外貨を稼ぐために海を渡って外国へ出たことだ。主に18世紀の終わりから19世紀の半ばにかけてマレーシア、スリランカ、ミャンマーなどへ渡ったという。
それぞれの土地で親しまれている食文化を持ち帰り、自分たちの南インド料理をハイブリッドさせ、新たな料理をつくりあげた。裕福な身分だったからか、スパイスをケチらず使ったカレーは、必然的に従来のインド料理の概念を超えたリッチな味わいに仕上がる。なんだか魅力的なストーリーを持つカレーじゃないか。
汁気がなく濃厚な味のチェティナードマトンフライ、ブラックペッパーがビシッと効いたチェティナードチキンペッパーマサラ、ココナッツ香るクリーミーなチェティナードチキンクルマなどなどを教えてもらう。どれも一様に濃厚でスパイスがビシッと効いた主張の強いカレーだった。そうか、考えてみれば、バターチキンだって、立派にハイブリッドされたカレーである。
1947年創業のバターチキンカレーの元祖と呼ばれる店「モーティマハール」は、インド北部・オールドデリーのムスリムエリアにある。そのことからもわかる通り、中東からパキスタン経由でやってきた食文化がインド料理と融合した結果、生まれたのが濃厚なバターチキンカレーである。異国の食文化どうしがハイブリッドすると、カレーはリッチな味わいになる、ということなのかもしれない。
アジア各国に伝播した「チェティナード料理」を追う旅
チェティナード地方でつくられてきた料理はカレーにせよカレー以外の料理にせよ、全般的にスパイシーで濃厚な味わいを持っている。しかし、「チェティナードのカレーといえば、この1皿です」という典型的な味わいがあるわけではない。チェティナード料理の奥深さに魅了され、さらに食べ歩いてみたい気持ちになったぼくは、カライクディの街からそう遠くないマドゥライやチェンナイのチェティナード料理専門店へも足を運んだ。
なかでもマドゥライで訪れた「クマールメス」はどの料理を食べても絶品で、スパイスそのものを食べているような錯覚に陥るカレーもあれば、煮込んで生まれた「だし」のうま味が前面に出たカレーもあって、バラエティーの豊かさに目移りしてしまった。
また、チェティナード料理の発展に寄与した商人、チェティアールたちは、アジア各国の食文化を南インドに持ち帰っただけでなく、旅先の土地にも自分たちの食文化を伝えたそうだ。そのため、マレーシア、スリランカ、ミャンマーなどの国々には、独自のチェティナード料理が発展しているという。
今回のインドへの旅では、はじめからチェティナード料理の探求にテーマを絞っていたので、行きのトランジットをマレーシア、帰りのトランジットをスリランカに設定し、それぞれ数日間滞在して現地のレストランを訪ね歩いた。また、帰国後もチェティナード料理への興奮が冷めやらず、あらためてミャンマーにも足を運ぶことにした。
マレーシアでは、首都クアラルンプールにあるヒンドゥー寺院の周辺に専門店が立ち並ぶエリアがあった。スリランカは最大の都市コロンボを探し回ってようやく1軒を見つけるにとどまったが、ミャンマーではディープなチェティナード料理に出会えることができた。後日、別の取材で訪れた香港にも「ニューチェティナード」という料理店を見つけた。
日本にも少しずつ上陸しはじめた「チェティナードカレー」の今後に注目
チェティナードカレーが日本でバターチキンカレーを超える人気者になれるかどうかはまだ未知数だ。しかし、東京都内にあるインド料理店では、チェティナードチキン、チェティナードマトンなどのメニューを楽しめる場所もわずかだが増えつつある。先に紹介した錦糸町「ヴェヌス」もそのひとつ。
いまの日本では、南インド料理が流行しつつある。さっぱりした食べ心地でヘルシーな印象が強いことが理由の一つだ。バターチキンに代表される北インド料理はおいしいが胃に重い。ミールスのような南インド料理はさっぱりしていて食べやすい。そんな印象があるからかもしれない。
その点、チェティナード料理は南インド料理でありながら、深く濃厚な味わいに特徴がある。南北インド料理の「いいとこどり」をしたようなこのカレーが、これから日本で人気を博す可能性があるかもしれない。
かつて海を渡り、他国の食文化を吸収しつつ自国の料理を大事に守ったチェティアールたちに思いを馳せながら、まだまだ希少なこのチェティナードカレーがどんどんメジャーになっていく姿をぼくは妄想している。
読者の皆さんに少しでもチェティナードカレーの魅力を体験していただくために、「ヴェヌス」のヴェヌゴパールシェフから教えてもらったチキンカレーを、つくりやすい材料でアレンジしたレシピを最後に紹介したい。
家庭でつくりやすいチェティナードチキンカレー | ||
---|---|---|
【材料・3~4人分】 | ||
グリーンチリ(あれば) | : | 2本 |
植物油 | : | 大さじ3 |
ホールスパイス | ||
・マスタードシード | : | 小さじ1/2 |
・クミンシード | : | 小さじ1/4 |
・フェンネルシード | : | 小さじ1/2 |
・レッドチリ | : | 4本(好みで) |
にんにく(みじん切り) | : | 3片 |
玉ねぎ(1センチ角に切る) | : | 大1個 |
鶏肉 | : | 450g |
パウダースパイス | ||
・ターメリック | : | 小さじ1/2 |
・コリアンダー | : | 大さじ1 |
塩 | : | 小さじ1強 |
ホールトマト | : | 100g |
砂糖 | : | 小さじ1/2 |
【つくり方】 | ||
---|---|---|
1 | : | 鍋に油を熱し、ホールスパイスを加えてマスタードシードがはじけるまで炒める。 |
2 | : | にんにくを加えてこんがりするまで炒め、玉ねぎを加えて表面がきつね色になるまで炒める。 |
3 | : | 鶏肉を加えて表面全体が色づくまで炒める。 |
4 | : | パウダースパイスと塩を加えてさっと炒め合わせる。 |
5 | : | ホールトマトをつぶしながら加え、砂糖を加えて鶏肉に火が通るまで15分ほど煮る。 |
水野仁輔(みずの じんすけ)
株式会社エアスパイス代表取締役。レシピつきのスパイスセットを配送するサービス「AIR SPICE」の立ち上げ、コンセプト、商品、レシピ開発を手がける。カレーをコミュニケーションツールとして「ハッピーな空間」をつくることを目標に活動している出張料理ユニット「東京カリ~番長」の中心メンバーとして全国各地へ出張し、これまで1,000回を超えるライブクッキングを実施。カレーやスパイスに関する著書は40冊以上。
http://www.airspice.jp/
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