バリアフリーじゃないから大自然は楽しい。車いすで空から海まで

INTERVIEW

中岡 亜希

Nakaoka Aki

  • 国内

50

旅の選択肢はもっと広がる

バリアフリーじゃないから大自然は楽しい。車いすで空から海まで

2018.03.09

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病で身体が思うように動かなかったり、障がいを抱えていたり——そんな人々やその家族にとって、旅に出る情熱は、知らず知らずのうちに薄れてしまうことがあるかもしれない。
 
でも、決して諦める必要はない。障がいのあるなしにかかわらず、大自然に飛び込む旅やアクティビティーを誰もに提供したいと活動しているのが、一般社団法人ata Allianceの代表を務める中岡亜希さんだ。かつてはJALの客室乗務員として国内外を飛び回っていた中岡さんは、突然の難病に襲われ、25歳で車いすの生活に入る。けれど彼女はそこで旅を諦めなかった。富士山に登頂し、長野県の白馬八方尾根スキー場を山頂から麓まで滑走、果ては北緯60度・気温マイナス30度の極寒のカナダへ——あらゆる可能性の扉を開け続けてきた中岡さんは、人々と一緒に楽しめる幅をさらに広げようと、精力的に活動している。
 
今冬は、白馬を中心に活動を広げている中岡さん。彼女の話を聞いていると、障がいや年齢を超えた普遍的な旅の楽しさについてあらためて思い出し、仲間や家族と次の旅の計画を立てたくなってくる。
 
取材・文:宮田文久

車いすで大自然へダイブする感覚、風を切るスピード感——「デュアルスキー」とは?

 

OnTrip JAL編集部(以下、JAL):中岡さんが代表を務めるata Allianceは今年1月、車いすや杖を使用している方々が冬の北海道の大自然を楽しめる『車いすで、雪あそび。』ツアーを実施されましたね(JAL、クラブツーリズムと共同企画)。どんな旅になりましたか。

 

中岡亜希(以下、中岡):「こんな体験ができるとは思わなかった」と言ってくださる方が、たくさんいらっしゃいました。私たちata Allianceが日本に輸入したデュアルスキー(「立位がとれない」すなわち座位の保持ができない人でも、厳しいトレーニングを積みライセンスを取得したパイロットの操縦のもと楽しめる着座型スキー)や、信州大学の加藤彩乃先生と八ヶ岳 富士見高原リゾートが日本で初めて導入した、ハンドルで操作するスキー「スノーカート」などで、雪山を楽しんでいただきました。

 

中岡亜希さん(撮影:下田直樹)

中岡亜希さん(撮影:下田直樹)

 

中岡:「やりたい、でもできっこない」と感じていたスキーを楽しみ、生クリームの上を滑るようなパウダースノーの感覚や、白銀の世界を疾走するスピード感を味わう——そんな北海道ならではの体験をできたことに、とても感動してくださっていたのが印象的でした。また、一緒に参加した人との出会いにも、喜んでくださっていましたね。個人の旅では味わえない、みんなと共有する空間や時間を楽しんでいただくことができました。

 

JAL:みんなで楽しむという姿勢は、「雪あそび」というツアー名にも表れていますね。

 

中岡:「バリアフリー」という言葉が、大自然を楽しむことから車いすユーザーを遠ざけている。でも私は、車いすだからといってバリアフリーにしばられる必要はないと思っています。「雪あそび」というネーミングには、立場や年齢、障がいの有無に関係なく、みんなで一緒に楽しみたい、という思いをこめました。

 

今年1月の『車いすで、雪あそび。』ツアーのようす(撮影:下田直樹)

今年1月の『車いすで、雪あそび。』ツアーのようす(撮影:下田直樹)

「行けるかどうか」じゃなく「行きたいかどうか」。人生の転機、子どもたちとの山登り

 

JAL:中岡さんが現在の活動を行われるようになったのは、どのような経緯からだったのでしょうか。

 

中岡:客室乗務員として働いていたころ、身体に異変を感じるようになり、25歳で進行性の難病(治療法が確立されていない筋疾患)と診断されたことがきっかけでした。突然に突きつけられた現実をどう受け止めてよいのかわからないまま、しばらくは時間だけが過ぎていきました。

(撮影:下田直樹)

(撮影:下田直樹)

中岡:そうやって呆然としているあいだにも、身体が動きにくくなっていき、これまでできていたことが徐々にできなくなっていく。それでも生きていかなければならない。葛藤でいっぱいでした。でも、どうせ生きていくのだったら、これからの人生の生きがいとなるものを見つけたい——そう考えて少しずつ、日々の思いに折り合いをつけていきました。
 
その後は自動車の免許を取ったり、ドライブをしたり、自分なりにチャレンジを重ねていきました。ところがそんな折、縁あって英語を教えていたフリースクールで、「夏のキャンプの山登りに一緒に行こう」と小学生たちから誘われたのに、私は断ってしまったんです。

 

JAL:2008年、ご自身の転機となったという、長野県の立ヶ峰(1689m)登頂につながるお話ですね。

 

中岡:そもそも当時は車いすで山に登る方法がわからなかったし、人に迷惑をかけてまで行くべきではない、と考えてしまって。そのとき子どもたちから「行きたくないの?」と聞かれて、愕然としました。彼らは純粋に、私と一緒にキャンプに行きたい、という一心で誘ってくれていたんです。でも私は、無意識のうちに「できるか、できないか」で判断し、自分から道を閉ざしてしまっていた。
 
やってもいないうちに諦める、その姿を子どもたちに見せたくない。できるかできないかではなく、できるようにするために何をすべきか、まずは考えてみようと思いました。

山頂でキャンプ、満天の星空やご来光。そこから始まり、富士山やオーロラまで

 

JAL:まさに先ほどの、雪あそびツアーにもつながる精神ですね。

 

中岡:周りのスタッフも協力してくれて、四輪バギーや軽トラックを駆使して山を登りました。小さな山でしたが、トイレもない頂上で食事をしたり、満天の星空やご来光を見たり——想像もしていなかった景色を子どもたちと一緒に見ることができた。その経験が私のなかでとても大きかったんです。

2010年、富士山9合目にて

2010年、富士山9合目にて

 

中岡:あまりにも嬉しくて、子どもたちと「次はどこに行く?」という話になり、冗談で、「富士山じゃない?」と言っていました。でもそこから話が広がって、翌年には、富士山に登る方法を現実的に探しはじめました。できるだけ同行者や自分の身体に負担がかからない車いすを海外まで探しに行き、のちに輸入を始めた水陸両用の「HIPPOcampe」という車いすを見つけたときは、これなら完璧だと思いましたね。それで富士山に登り、カナダへオーロラを見に行き……と、少しずつ行ける場所が増えていったんです。

 

JAL:デュアルスキーとも、そうした流れのなかで出会ったのですか?

 

中岡:はい、冬に子どもたちとスキー合宿に行ったんですが、私はみんなが滑っている姿をただ眺めていて。行く前は見るだけでいいと思っていたんですが、見ていたらやっぱり羨ましいなあ、と。もともと私、ジェットコースターとか、スピードのあるものは大好きなので……(笑)。再びドイツへ器具を探しに行き、出会ったのがデュアルスキーでした。「これは絶対に日本に輸入しなきゃ!」と思いましたね。

2009年、ドイツの福祉機器展『リハケア』にて

2009年、ドイツの福祉機器展『リハケア』にて

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