車いすバスケットボールは、パラリンピックの中でも注目度の高い人気種目。比較的わかりやすいルールのもと選手たちのスーパープレーが楽しめるため、花形競技ともいわれています。開幕を2021年8月24日に控えた東京2020パラリンピックには、いったいどんなドラマが待っているのでしょうか。
この記事では、車いすバスケットボールの見どころや本大会にかける意気込みを、香西選手にインタビュー。海外生活の経験をお持ちの香西選手ならではの、国内外のバリアフリーに関するお話も、あわせて伺いました。
実は数センチ、数ミリのポジション争いが繰り広げられる繊細なスポーツ
OnTrip JAL編集部(以下、JAL):車いすバスケットボールの基本ルールは、一般のバスケットボールと同じだそうですね。ダブルドリブルはなく、ボールを保持した状態で車いすを3回漕ぐとトラベリングになるということと、お尻がいすから離れてしまうと反則になるということを理解しておけばOKだと聞いています。その上で、観戦する際の見どころ、醍醐味を教えてください。
香西宏昭(以下、香西):一番は、選手の障がいレベルによってクラス分けされ、重い順から1.0~4.5点の幅で0.5点刻みにポイントがつけられているところだと思います。1チーム(5人)の合計が14点以内と決められていて、障がいの重い選手、軽い選手が一緒に戦うのですが、いわゆる“よく動ける選手”だけが活躍するのではなく、選手個人それぞれのプレースタイルも戦術に組み込まれています。
JAL:香西選手の持ち点は3.5、障がいは比較的軽いということになりますね。これまで障がいの重い選手との連携プレーで印象的なエピソードはありますか。
香西:たくさんあります。たとえば「スクリーン」という戦術。僕の進行方向にディフェンスがいた場合、その動線上にチームメイトが入ってディフェンスを邪魔して、僕が動けるようにします。健常者バスケットボールの選手の場合は横に動いて選手と選手との間をすり抜けられますが、車いすは真横に動くことはできないので、一回横を向いて動かなければならず、とても有効な戦術です。こういったお互いに協力し合うプレーは至るところで起きています。
JAL:車いすの動きがものすごく速く、クルクルと自在に回転させて操る様子にも驚かされます。
香西:「車いす」というと病院で使っているものをイメージする人が多いかもしれませんが、それ以上にスピードがあり、激しいぶつかり合いもあって「車いすの格闘技」と呼ばれることもあります。その動きは派手に見えますが、実は車いすの操作によって数センチ、数ミリのポジション争いが繰り広げられていて、繊細なスポーツでもあるんですよ。
強さの秘訣は、「過去の自分」に勝つという気持ち
JAL:香西選手の強さの秘訣は何でしょう?
香西:僕は自分をあまり強いとは思ってないんですけど、子どものころからずっと「うまくなりたい」という気持ちは持ち続けてきました。周りと比較して勝とうとすると変に力が入ってしまい、だいたいうまくいかないので、周りではなく過去の自分自身と比較するようにしています。だから、「自分に勝ちたい」という気持ちが強い。もし僕のことを「強い」と思ってくださるとしたら、そういう気持ちから強く見えるのかもしれないですね。
JAL:北京2008パラリンピックでは7位、ロンドン2012パラリンピックは9位。そして、副キャプテンを務めたリオデジャネイロ2016パラリンピックでは9位という結果でした。「勝ちたい」という想いを実現させるために、どのように過ごしてきたのでしょう。
香西:そうですね。振り返ると、リオデジャネイロ2016パラリンピック以前は自分が納得しないことはやらないという頑固なところがありました。でもそれって自分の考えの範囲内でしか動いていないということでもあります。それでいい結果が得られなかったのだから、答えは外にあるだろうと考えるようになりました。
変化することは不安もありますが、そうするとすぐに頑固モードに入ってしまうので、とりあえずはやってから考えよう、思い切ってチャレンジしてみようと意識するようになったんです。
JAL:リオデジャネイロ2016パラリンピックの悔しさをバネにして、大変努力された様子がうかがえます。この経験を通して、ご自身を客観視できるようになったことが、大きな変化だったのですね。
高さがなくても勝てるということを見せて世界を驚かせたい。
JAL:車いすバスケットボールをはじめたきっかけを教えてください。
香西:もともとボール遊びが好きで、特に野球が好きだったので、プロ野球の試合を観に行くほどでした。ただ、今は車いすソフトボールがあるけれど、当時は車いす野球というものは聞いたことがなく、チームに所属する機会がなかったです。
そして2000年、小学生のころ、千葉の車いすバスケットボールチーム主催の体験会に、父と一緒に行ったんです。
バスケットボールはほとんど見たことがなかったんですけど、体験会で競技用の車いすに乗ってみたら、ふだん乗っている車いすとは全然違って簡単に動ける感じがおもしろかった。スピードも出るし、くるくるターンできるし。そこで主将からチームに誘ってもらって、のめりこんでいきました。
JAL:そのころの「楽しい」という気持ちは、今もありますか。
香西:正直、楽しいという気持ちを忘れた時期はありました。リオデジャネイロ2016パラリンピック直後は「楽しい」というよりは「どうにかしなきゃ」「こうあるべきだ」と強く思ってしまい、楽しさはどこかに吹っ飛んでしまっていました。
JAL:どうやって乗り越えたのでしょうか。
香西:新型コロナウイルスの影響で1回目の緊急事態宣言が発令され、体育館が閉まって強制的にバスケットボールから離れるしかない状況になったときに、ほとんど家にこもっていたんです。それから約2カ月後、体育館が使えるようになってシュートを打ってみたら、確か1本目は入らなかったんですけど、ガーンという外れる音さえ嬉しかったんです。「ああ、これだこれだ」と。「バスケットボールが好きだったんだな」と、そこで再確認することができました。
JAL:あの時期は多くの方々が自分にとって何が大切か、見つめ直すことができた時期だったかもしれません。そうした時期を経ての東京2020パラリンピック。今大会の目標を教えてください。
香西:男子は12ヵ国が参加しますが、そのなかでも特に日本代表は高さがない。バスケットボールという種目においては致命的な課題です。その日本がどうやって戦うかというと、スピードが重要。スピードと緻密な車いす操作で勝負することになります。また、コートを広く使い、「トランジション」つまり攻守の切り替えが速い試合展開を目指します。これらが合わさったときに、高さを凌駕できる。
強豪揃いなので、どのチームと対戦しても難しいことには違いありませんが、高さがなくても戦い方次第で勝てるということを見せて世界を驚かせたいですね。日本代表チームには2006年の世界大会から選んでいただいていますが、納得いく結果を残せたことは一度もないので、これまで少しずつ積み重ねてきたものを発揮して、望む結果を勝ち取りたいと思います。
JAL:金メダルの写真を待ち受け画面にしていると伺いました。
香西:そうですね。やはり目標はメダル獲得です!
アメリカはハード面が、ドイツは人々の気持ちがバリアフリー
JAL:アメリカやドイツに住んだご経験があるとのことですが、おすすめのエリアはありますか?
香西:僕、アメリカもドイツも「生活してた」という感じで、旅はほとんどしたことがないんです。シーズンが終わって帰国すると日本代表としての合宿や遠征があるし、どこかに行っても試合があったらそれは「遠征」であって「旅行」じゃない。
でも、4年ほど前、母校の大学に弾丸で行ったことはあります。キャンパスをぶらぶら歩いてみたり、現地にいる当時のルームメイトに会って、体に悪そうなものを食べながら久しぶりにワイワイしゃべったり(笑)。すごく楽しかったですね。
ドイツは、大都市の1つ、フランクフルトの郊外に住んでいましたが、フランクフルトから車で20分ほど離れれば自然がたくさんある。ドイツは国としても環境問題に配慮している国で、その分のんびりできる感じはあります。
日本では今、千葉県に住んでいるのですが、一人で房総にリフレッシュしに行ったことはあります。露天風呂付きの部屋で、日の出を見ながら風呂に入ろうと思ったら大雨が降って(笑)。それも含めて楽しくリラックスできました。
JAL:海外と日本ではバリアフリー面での違いはありますか。
香西:やっぱりアメリカが進んでいると思います。アメリカには「障害を持つアメリカ人法(ADA)」という障がいによる差別を禁じる法律があるので、どこに行っても段差にはスロープがあり、トイレもバリアフリーになっている。ハード面のバリアフリーはかなり進んでいて、何も気にすることなく社会のなかに溶け込んで生活できていました。
ドイツはハード面はアメリカより進んでないかなという印象なんですけど、だからこそ手助けしてくれる人は多いように感じます。たとえば、バス停で降りようとすると、同じタイミングで降りる客がサッとスロープを出してくれたことがあります。「ありがとう」を言うタイミングを逃しちゃうくらいにスムーズに出してくれて、降りると今度はバスに乗る人が「いいよ、戻しておくよ」と言ってスロープをしまってくれました。本来は運転手さんが行う作業なんですが、乗客が当たり前のように自然に手伝ってくれたんです。
JAL:日本はどうでしょうか。
香西:変わってきているとは思います。エレベーターがついている駅が増えましたし、新しい建物の多くは車いす用のトイレがある。ただ、建物や駅によっては搬入専用エレベーターしかなく遠回りしなければならず、そのために係員の方が一緒に行かなければならないといった不十分なところはまだありますね。
大学時代からいつか行きたい場所、グランドキャニオン
JAL:遠征は試合続きでたいへんだと思いますが、そんななかでも楽しく過ごすためのコツはありますか?
香西:遠征のときは、一回バスケットボールから離れるようにしています……と、カッコいい言い方をしましたけど、つまりゲームをします(笑)。他に、本、タブレットと体が硬いので孫の手(笑)。本はリーダーシップ論をよく読んでいます。でも、機内では本より映画。映画館に行く機会もほとんどないので、事前にJALさんのホームページで調べて何を観るか計画を立てています。
JAL:コロナが終息したら行きたい場所はありますか?
香西:グランドキャニオンです。大学時代から行きたいと思っていましたが、チャンスがなかったので行ってみたい。雄大な自然のなかで自分のちっぽけさを感じたいんです。(笑)
JAL:単身渡米し、ドイツのリーグでプロとして活躍。その後、東京2020パラリンピックに向けて帰国と、節目節目で大きな決断をし、道を自ら切り開いてきた香西選手。最後に、遠方にお出かけすることに不安を持っている方や、スポーツにチャレンジしたいけど迷いのある方に向けて、メッセージをお願いします。
香西:帰国したことはそれが最善の策だと思ったので、実はそんなに大きな決断ではありませんでした。ただ、イリノイ大学に行くときは大きな大きな決断でした。実際、空港でギャンギャン泣きましたし(笑)。
自分のやるべきこととやりたいことがちょっと違うときもあるけれど、自分のなりたい像に向かって一歩踏み出すのはとても大切なこと。多少無理して決断する場面はあると思います。
その一方で、リラックスするときは無理することはないと思う。自分の心に正直に過ごすのが一番健康的。今はこんな状況ではありますが、今できる楽しいことをみつけて過ごして、また旅を満喫できたらいいですね。
香西宏昭(こうざい・ひろあき)
12歳から車いすバスケットボールをはじめ、高校1年生の時にU-23日本代表に選ばれる。高校卒業後に単身アメリカへ渡り、イリノイ大学に編入。同年、全米大学選手権優勝を果たし、その後は全米大学リーグのシーズンMVPを2年連続で受賞。日本ではNO EXCUSEに所属。
JALは東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会のオフィシャルエアラインパートナーです。
文:安楽由紀子
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