料理を盛り付ける、花を生ける。日常生活でなくてはならないうつわを新調して、さらに上質な暮らしを手に入れませんか。この記事では、うつわの中でも特に「やきもの」に注目。「やきものの町」と呼ばれる波佐見町を紹介します。
波佐見焼の歴史がわかる陶芸の館(観光交流センター)
長崎空港から車で約40分。山間の小さな町に、レンガの煙突が並ぶ、のどかな風景が広がっています。清らかな川、細い路地と昭和の町並み。うつわの生産地として400年もの歴史を持つ、波佐見町です。
まず訪れたいのは、町の中心にある陶芸の館「陶芸の館(観光交流センター)」。波佐見は、陶器の大量生産を可能にしたエリアで、日常食器の生産が江戸時代から盛んに行われていました。その歴史を知ることができるのが、陶芸の館の2階にある史料館です。
さて、“くらわん”とはどういう意味なのでしょうか。
江戸時代、大坂の淀川で総菜などを売る船があり、中で食事をすることができました。その呼び声が「くらわんかぁ」つまり「食べませんか」だったことから、この船は「くらわんか舟」と呼ばれていたのです。使用されていた磁器製のうつわは波佐見で焼かれたものが多く、揺れる船の上でも転びにくく、厚手で底もしっかりとした日常使いのうつわとして評判でした。このうつわが「くらわんか碗」と呼ばれるようになったようです。
波佐見では主に、この「くらわんか碗」と、出島から海外に輸出する酒や醤油の瓶として利用された「コンプラ瓶」がつくられていました。
歴史を学んだあとは、体験工房へ(要事前予約)。陶芸体験には「ロクロ」と「たたら型打ち」が用意されています。「たたら」とは、土でできた平たい板のことで、それを手で成形していくというもの。今回は、あまり馴染みのないたたら型打ち体験に挑戦しました。
ご指導いただいたのは、伝統工芸士の長山陽一先生。「難しいことはありません。楽しんでください」の言葉に、やる気が出ます。
まず、きのこのような型の上にたたらをそっと乗せ、手のひらを使って隙間ができないよう半球状に成形していきます。縁を整えるために「弓」という糸を使って端を切り取り、それからひっくり返して型からたたらを外します。すると、まぁるいうつわができました。
「完成はまだですよ。今は丸くなっていますが、これから縁に波を付けたり、四角にしたりと、自分の好みでうつわの形をつくりましょう」と、長山先生。せっかくだからと悩みましたが、食器棚に並べることをイメージして、しまいやすい丸のままにすることに。
「のちのち使い勝手がいい丸型を選ぶ人も多くいらっしゃいます。芸術的に仕上げたい場合は、いろんな縁の型があってもいいかもしれません。これはまさに好みですね」(長山先生)。
次は、模様を描いたり、押花をしたりする工程へ。人によっては、じっくり時間をかける方もいらっしゃるようです。
最後は釉薬選び。黒、白、緑、茶色の4種類の中から選んで、終了です。所要時間は約1時間。手軽に体験できました。この後は、先生が微調整を行って仕上げ、焼成し、1カ月ぐらいで郵送されます。
体験のあとは、1階のショップ「くらわん館」へ。食卓に新たな彩を追加する一枚を、探しに行きます。
エッジの効いたフォルムと、優しい色合いのブルーが特徴の一龍陶苑の作品。「しのぎ」と呼ばれるデザインが特徴で、平皿やカップなど種類も揃っています。
グラタンなどにぴったりな西海陶器の「OVEN WARE」シリーズ。深みのある色合いも人気です。
natural69(ナチュラルロック)が提案する、大小の魚たちと海の生き物をモチーフにした「cocomarine」シリーズ。魚の表情を見ているだけでも癒されます。お茶わん・カップ・ボウルなど10種類もあります。
明日からの食事が楽しみになる、新作の波佐見焼を持ち帰りたいものです。
陶芸の館(観光交流センター)・くらわん館
住所 | : | 長崎県東彼杵郡波佐見町井石郷2255-2 |
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電話 | : | 0956-85-2290(一般社団法人波佐見町観光協会) |
営業時間 | : | 9:00~17:00 |
休館日 | : | 12月31日、1月1日、1月2日 |
料金 | : | 陶芸体験 ロクロ3,850円、たたら型打ち2,750円(どちらも税込・送料別) ※1週間前までに要予約 |
web | : | http://kurawankashop.sakura.ne.jp/ |
9店舗の個性派ショップが集まる「西の原」
陶芸の館「くらわん館」から徒歩3分ほどのところに、カフェ・レストランや雑貨屋など9つのショップが集まる「西の原」というエリアがあります。もともと、江戸時代から続く大きな製陶所があった場所で、登り窯、ろくろ場、絵付け場、出荷事務所などに使われていた建物を少しずつリノベーション。きっかけは、山形県出身の陶芸家が、ここで窯を開いたことでした。
それから、料理人が加わりカフェ・レストランを開き、次に美術家が現れてギャラリーが生まれ、雑貨店や珈琲店、アイス店などが次々とオープン。その個性的な店構えに注目が集まり、県内外から多くの方が訪れる人気スポットとなりました。
波佐見町のまちづくりにも大きく貢献している「西の原」は、平成24年に、県のまちづくり景観資産に登録されています。
西の原
住所 | : | 長崎県東彼杵郡波佐見町井石郷2187-4 |
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ここからは、西の原に9つあるショップから3つをセレクトして紹介しましょう。
波佐見焼のうつわを使った手作りランチを
ノスタルジックな木造家屋と、窓の奥に見える裸電球、店内には薪ストーブもあります。ここが製陶所の事務所だったとはとても思えないほど、素敵なカフェ・レストランにリノベーションされているのが「monné legui mooks(モンネ ルギ ムック)です。
波佐見町の野菜をたっぷり使った日替りランチは3種類から選べ、一番人気は「鶏肉と揚げ茄子とかぼちゃのココナッツミルクカレー」。パクチーの香りがアクセントになっています。手作りのスイーツはもちろん、挽きたての香り高いコーヒーまで、あまりの居心地のよさについつい長居してしまいそうです。
monné legui mooks(モンネ ルギ ムック)
電話 | : | 0956-85-8033 |
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営業時間 | : | 12:00〜18:00 |
定休日 | : | 火・水 |
web | : | http://www.mooks.jp/index.html |
アート要素いっぱいのセレクトショップ
ろくろ場として利用されていた広くて大きな建物をリノベーション。木枠のガラス窓や手洗い場など当時の設えをできるだけ残し、ギャラリースペース&ショップとして2006年にオープンしたのが「monné porte(モンネ ポルト)」です。
ショップでは画材をメインに文具、輸入雑貨などアート関連グッズがずらり。オーナーがセレクトした表現力や想像力を刺激するグッズにワクワクします。隣接するギャラリースペースでは、ライブや展覧会、ワークショップなどが不定期に開催されています。
monné porte(モンネ ポルト)
電話 | : | 0956-76-7163 |
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営業時間 | : | 11:00〜18:00 |
定休日 | : | 水曜日 |
web | : | http://monne-porte.com/ |
個性あふれる波佐見焼が手に入るショップ
西の原の中でも少し奥まった場所にある「南創庫(みなみそうこ)」は、製陶所の出荷事務所として使用されていた場所。ここでは西海陶器が手掛ける「essence of life」「Sabato」「HASAMI PORCELAIN」「The Porcelains」「Common」「NUPPU」「Ha’」の7つの波佐見焼ブランドが展示販売されています。
カラフルであったり、シックで落ち着いた色合いだったり。ちょっとした遊び心のあるデザインや、手作業ならではのあたたかみが魅力の、日常使いのうつわに出合うことができます。
南創庫
電話 | : | 0956-76-7214 |
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営業時間 | : | 11:00〜18:00 |
定休日 | : | 水曜日 |
江戸時代から残る波佐見焼の郷「陶郷中尾山」を散策
続いて訪れたのは、波佐見焼はじまりの場所「中尾山」。西の原から車で7分ほど移動すると、山の谷間に16もの窯元が立ち並ぶ陶郷が見えてきます。
波佐見焼は、安土桃山時代に朝鮮半島から渡来した陶工たちによって開窯されました。最初は土ものの陶器が中心でしたが、波佐見町東南部にある三股 (みつのまた)で陶石が発見されると本格的に磁器生産へと移り変わります。この中尾山には、三股とつながる山越えルートがあり、陶石が運ばれていました。
磁器の需要が増えてきたのは、17世紀半ばに起こった中国の内乱が原因です。この時期、中国産のやきものの輸出が中断。その代わりに波佐見焼を含む肥前のやきものに白羽の矢が立ち、長崎の出島から海外へと輸出され、波佐見焼の窯の数も職人の数も一気に増えていったのです。
1690年ごろに中国の内乱が収まると輸出量は減少。それから、国内向けの日用食器へと販売を変更し、大量生産へと舵を切っていきました。
大量生産するには、大きな窯が必要です。中尾山には世界トップ3の大きさの登り窯がありました。第1位は、長さ170m、窯の部屋39室という世界一の「大新登窯跡(おおしんのぼりがまあと)」です。第2位は、160mで33室の「中尾上登窯跡(なかおうわのぼりがま)」。これは1640年に窯ができ、その後300年もの長きにわたって使われ続けました。そして第3位が120m、26室あった「中尾下登窯跡(なかおしたのぼりがまあと)」です。こちらも1661年から約280年も使われていました。現在、世界第2位の「中尾上登窯跡」が復元整備され、見学できるようになっています。
登り窯ですので斜面地にありますが、その一番山手奥に当時のままの地層が展示されています。いい運動になりますが、その場所から見える中尾山の町並みは美しく、散策休憩におすすめです。
陶郷の雰囲気を感じるために、集落を散歩してみました。
波佐見焼の工程は分業制で行われていて、大きく分けると次の3つ。
・うつわの原型となる石膏をつくる「型屋」
・石膏型に液体の生地を流し込む鋳込みや、回転する台を使用して成形する機械ろくろなど生地をつくる「生地屋」
・できた生地に絵付けや釉かけ、焼成など行う「窯元」
このように手分けしていることから、登り窯は「もやい窯」とも呼ばれています。「もやい」とは、「皆で協力する」という意味です。
現在、レンガの煙突は8本ありますが、これは薪を使って焼いていた時代のもので、町の景観を保つために保存されています。燃料も石炭からガスへと変わり、うつわ作りの方法もずいぶんと変化しました。しかし変わらないのは「日常使いの食器」であること。江戸時代の「くらわんか碗」から現代まで、その姿かたちは変わっても、時代に合った暮らしのうつわが、この波佐見焼の大きなブランドでもあるのです。
中尾山という小さな集落は、今もなお江戸時代の面影と、当時から続く「もやい窯」という分業制が継承され続けています。窯元めぐりはもちろん、路地を散策するだけでもタイムスリップしたような気分になれるのではないでしょうか。
陶郷「中尾山」
お問い合せ | : | 一般社団法人波佐見町観光協会 |
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電話 | : | 0956-85-2290 |
web | : | http://hasami-kankou.jp/ |
窯が開かれてから約400年。その歴史を継承し、今も、暮らしの中に息づく日用食器が生まれ続けている波佐見焼。自由に旅に出られる日がきたら、お気に入りの一枚を探しに波佐見町を訪れてみませんか。生活に彩を加えるだけでなく、長く使っていきたい。そんなうつわに、きっと出会えることでしょう。
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