遠野市は岩手県南東部の内陸に位置し、江戸時代より遠野南部氏の城下町として、内陸と沿岸を結ぶ交通の要衝として栄えました。「遠野」と聞くと「遠野物語」を連想する方、多いのではないでしょうか。
遠野物語は民俗学者の柳田 國男が、明治43年(1910年)に発表した遠野地方に伝わる伝承や逸話、民話などを記した説話集ですが、物語のもととなった同地方の伝承や逸話、民話を柳田に語り聞かせたのが、遠野土淵村出身の、佐々木 喜善(ささき きぜん)でした。
柳田國男は知っていても、佐々木 喜善を知る方は多くないのではないでしょうか。遠野土淵村の裕福な農家に生まれた佐々木 喜善は、祖父などからさまざまな伝承や民話を聞かされて育ち、それが後の彼のライフワークとなった口承文学・民族学研究の基礎となり、数多くの逸話・民話などを収集し、オシラサマやざしきわらしなどの研究に力を注いだ功績により「日本のグリム」とも称されているそうです。
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遠野とえいば。カッパ伝説~カッパ淵

市内土淵町の常堅寺の裏を流れる猿ヶ石川の淵がカッパ淵です。伝承では、ここにはカッパが多く住んでいて、人々を驚かせたり、いたずらをしたりしたと伝えられています。
カッパは遠野の昔むかしの貧しく厳しい人々の生活から生まれた伝承。と話してくれたのは カッパ淵の守っ人(まぶりっと)二代目カッパおじさんの運萬 治男(うんまん はるお)さん。カッパは指が3本、顔は赤く、口が大きい。これは異形で生まれた子供を口減らしのため、神様へお返しするということで川へ流す(間引く)風習が昔はあったそうで、流された子は神様の元でカッパとなった。
人々は貧しく厳しい生活のなかから、川は神が住む場所、汚してはいけない。容易に遊んではいけない。という教訓に変えて子供たちに川を大切することを語り継いできたのだと。
乳神様を祀った祠もあるんですよ。祠の近くには、可愛らしいカッパ親子の授乳像もありますよ。
祠には赤布で乳を模した供物があるのですが、これは乳がよく出ますようにと願掛けの供物なんだそうです。
運萬さんは遠野市公認の観光ガイドで、カッパ釣りの名人でもあり、カッパ淵の案内をされています。(要予約)
また、常堅寺には日本で唯一のカッパこま犬があるんですよ。

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遠野地方の昔を知ろう 伝承園

遠野市の「伝承園」は、遠野地方のかつての農家の生活様式が再現され、伝承行事、昔話、民芸品の制作実現などが体験できる施設で、園内には国の重要文化財旧菊池家住宅(菊池家曲り家)があり、内部は人と馬が共に生きた遠野の生活文化を見ることができます。茅葺屋根の曲り家は外の素朴な印象とは別に、内部の太い柱や梁、それらが長年にわたりかまどや囲炉裏からの煙で燻されて黒々とつやを放っていて、人々の生きる力強さを感じることができるでしょう。

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~オシラサマ
曲り家の奥、薄暗い通路を通った先に「御蚕神堂(オシラ堂)」があります。おしら様(オシラサマ)は、蚕の神様、農業の神様、それと「お知らせ」の神様ともいわれています。六畳間ほどの赤壁の小さなお堂には1,000体ものオシラサマが祀られていて、色鮮やかな中にたくさんの祈りが込められた厳かな空気が流れます。オシラサマは桑の木で作った一尺程度の長さの棒の先端を馬や男女の顔に削り、願い事を記した布きれを着せ、女と馬や男と女など二体一対で祀られます。何故二体一対で祀られるのか?オシラサマには悲しい伝説があるのです。

~オシラサマ伝説
昔あるところに貧しい百姓がおりました。妻に先立たれていましたが美しい娘がおりました。また、一頭の馬を飼っていました。
娘はその馬を愛してしまい、ついには馬と夫婦になってしまうのです。それを知った父は怒り、娘には知らせず、馬を連れ出して桑の木に吊り下げて殺してしてしまいます。その夜、娘は馬がいないのを父に尋ねてこのことを知り、驚き悲しんで桑の木の下に行き、死んだ馬の首にすがって泣いたが、父はこれを憎み、斧で後ろから馬の首を切り落としてしまうと、娘はその首に乗ったまま天へ上り去ってしまうのでした。オシラサマとはこの時より成りたる神のことを言う。(遠野物語第六九話)

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遠野では「焼肉」=「ジンギスカン!」

遠野で「焼肉」といえば、ジンギスカン!ですが、どうして遠野のみなさんはジンギスカンが好きなのでしょう?
そのルーツは昭和22年まで遡ります。終戦後、復員したある人が故郷である遠野で精肉店兼食堂を開業しますが、満州で食べた羊料理の美味しさが忘れられず、自ら羊肉を取り寄せて家族で賄い料理として食べていました。
あるとき、客人に賄いのジンギスカンを振舞ったところ大好評!店主はより多くの人たちにジンギスカンを楽しんでもらおうと、店頭で出し始めましたが、当時の岩手だけでなく日本全体でも羊肉を食する習慣がなく、なかなか広まらなかったそうです。ですが、店主が試行錯誤のうえに作り上げた、羊肉と相性抜群の自家製タレが徐々に口コミで評判となり、お店には長い行列ができました。
当時の遠野では農家でのホームスパン用に羊を飼育していたため、新鮮な羊肉を調達できたことも要因だったようです。
しかし遠野の綿羊は姿を消してしまい(食べ尽くしてしまったそうです)、その時から現在に至るまで、すべて輸入物となっています。

遠野でジンギスカンの元祖といえば「じんぎすかん あんべ」さんですね。前述した歴史も実は「あんべ」さんのお話しです。
遠野で最初に(岩手県内でも)ジンギスカンをはじめたのが初代の安部梅吉さん、そして、ジンギスカンバケツを考案したのが2代目で、現会長の安部好雄さんなんです。遠野では昔から地域イベントが盛んで、「あんべ」さんでもお肉、タレ、そして鍋と七輪をイベント会場まで配達することがよくあったそうです。しかし、配達の途中で七輪がわれてしまうこともあったそうで、良い解決方法を探し求めた結果、ブリキのバケツに吸気口の穴をあけ、ジンギスカン鍋と組み併せて使用する「ジンギスカンバケツ」を考案したんですね。「あんべ」さんでは店頭で鍋とバケツを貸し出す無料サービスをはじめたところ「バケツジンギスカン」はあっという間に遠野中に広がったのです。

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さて、その「あんべ」さんで食しましたのが「ラムカタロース定食」です。写真のとおり肉厚でしょう。それを鍋で焼くんです。遠野のジンギスカンはお肉をタレに漬け込むのではなく、新鮮なお肉を焼いてタレに付けていただくのが基本となっています。
ジュウジュウと焼き音も心地よく、頃合いを見計らって箸で取って、タレに付けてぇ、そして口へ!。一口、二口と噛むほどに、お肉からのジューシーな肉汁がタレと相まって、もうっ!美味しい!柔らかくてジューシー!秘伝のタレとの相性抜群です!フルーティでさっぱりとしていて、かつピリッとしていてとにかくお肉と最高にあうんですねぇ。いやぁ大変美味しくいただきました。もう一皿、行けそうだったかも。
羊肉は...と思われる方もいらっしゃるでしょう?でしたら、ぜひ!お召し上がりいただきたいですね!

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あなたの遠野物語を見つけて

日本の原風景がある遠野。季節によりさまざまな景色があり、さまざまな伝統芸能、受け継がれる風習など、遠野の魅力は尽きません。
ぜひ、皆さんもご自身の遠野物語を見つけに来ませんか。

日本航空グループの翼、J-AIRがいわて花巻空港と札幌、大阪、福岡の3路線を結んでおります。
いわて花巻空港から遠野市へは東北横断自動車道釜石秋田線を利用して約40分程。

遠野市観光協会ー

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※旅コラムは、2019年3月29日時点の内容です。

掲載の内容は記事公開時点のもので、変更される場合があります。

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