西村 愛
2004年からスタートしたブログ「じぶん日記」管理者。47都道府県を踏破し、地域の文化や歴史が大好きなライター。
島根「地理・地名・地図」の謎 (実業之日本社)、わたしのまちが「日本一」事典 (PHP研究所)、ねこねこ日本史でわかる都道府県(実業之日本社)を執筆。 サントリーグルメガイド公式ブロガー、Retty公式トップユーザー、エキサイト公式プラチナブロガー。
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最後の街は松山市郊外。中心部から電車に乗り20分前後で到着する海の街「三津浜」へ向かいました。三津浜は松山藩の海運や海の守りとして重要な港でした。江戸時代に建てられた屋敷が並ぶ街には歴史の面影が感じられます。地元名物の「三津浜焼き」は民家のような佇まいのお店で食べられてとても興味深いです。県庁や萬翠荘に続き、木子七郎の建築も観に行きます。伊予鉄に乗りさらに海沿いを進み梅津寺駅まで。カフェでスムージーをオーダーした後は、心地よい海風と青い海に癒されて旅を締めくくりました。
日本一有名なミカンジュース「ポンジュース発祥の地」と三津浜焼き
日本一有名と言っても過言ではない柑橘ジュース「ポンジュース」。
伊予鉄三津駅からすぐのところに「ポンジュース発祥の地」があります。小さな公園の中に突然現れるのが石碑。ポンジュースを発売するえひめ飲料によると、この場所はえひめ飲料の前身であった愛媛県青果農業協同組合連合会が初めてみかんジュースを製造した工場跡地なのだそう。発祥の地で飲むポンジュースは格別の味がしました。
三津浜のソウルフード「三津浜焼き」でランチです。
広島のお好み焼きに似ていますが、呼び名も焼き方も具材も三津浜ならではで、私が食べた「みよし」の三津浜焼きは、かまぼこや削り節が入っていました。
ノスタルジック港町・三津浜の街歩き。三津の渡しや旧石崎汽船本社へ。
三津浜のフェリー乗り場や波止場へ向かう手前に「旧石崎汽船本社」が建っています。ここは愛媛県庁、萬翠荘を設計したのと同じ、木子七郎の作。
石崎汽船は明治初頭に廻船業からスタートし今に至るまで150年、瀬戸内海の足として旅客船の運航などを行ってきました。現在は松山観光港周辺に本社を構えていますが、大正時代に建設した本社が、現在登録有形文化財に指定されました。
今でこそ瀬戸内海にはたくさんの橋が架けられて陸路の交通の利便性が叶うようになりましたが、かつては船が間を繋いでいました。多くの旅客船が出入りする三津浜港は、賑やかな港だったことでしょう。そんな時代に思いを馳せつつ、港をのんびり散歩しました。
四国のウォール街と呼べるほどに銀行や商家が立ち並ぶ華やかな街を形成していた三津浜。今は当時の繁栄を偲ばせるレトロな建物を見ることができます。そしてそれらは現在、若い感性によりカフェや雑貨屋などに変貌し、新たなスポットとして注目を集めています。
海の香りと波の音に包まれていつもの自分に戻る時間、梅津寺。
旅の途中でふと「あ、海が見たい。」なんて思うことありませんか?松山市中心部から伊予鉄道に乗ってたった18分。あっという間に到着するのが梅津寺です。
途中で車窓から見える青い海に早る気持ちを抑えられない!梅津寺の駅は大人気ドラマ、「カーンチ!」で有名な“東京ラブストーリー”のロケでも使われた駅。砂浜の中に建っているかのような駅舎の眼前には、青い海が広がります。
砂浜を歩きながら散策したら、海沿いのカフェ「ブエナビスタ」へ。海の音やそよめく風を感じながらスムージーやランチがいただけます。
バス、電車、自転車でまわる愛媛県の旅、いかがでしたでしょうか。
ご紹介しきれなかった松山の夜は、大街道でグルメ三昧を楽しみました。お店では一期一会の出会いがあり、会話に花が咲きました。今回行けなかった東部エリアや陶器で有名な砥部、真珠と鯛めしの宇和島など、まだまだ魅力的な場所がいっぱいの愛媛県。
歴史の彩りや爽やかな海風を感じに愛媛県へ遊びに行ってみてくださいね。
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