
西村 愛
2004年からスタートしたブログ「じぶん日記」管理者。47都道府県を踏破し、地域の文化や歴史が大好きなライター。
島根「地理・地名・地図」の謎 (実業之日本社)、わたしのまちが「日本一」事典 (PHP研究所)、ねこねこ日本史でわかる都道府県(実業之日本社)を執筆。 サントリーグルメガイド公式ブロガー、Retty公式トップユーザー、エキサイト公式プラチナブロガー。
名建築家が遺した洋館「萬翠荘(旧久松定謨別邸)」。
愛媛・松山というと「松山城」や「道後温泉」といった場所を思い浮かべる方も多いと思います。今回は定番観光地よりも先に、市内中心部にあり気軽に見ることができる洋館を訪ねました。
松山藩主であった久松家が大正時代になり造らせた「萬翠荘」は建築家・木子七郎によって設計されました。木子は妻の実家であった愛媛県に自身の作品ともなる建物を数多く残しています。細かい装飾を施した豪華な意匠を使いつつも優美で上品な佇まい。それらが現在でも日常的に使用されていることが素晴らしいです。
今回の旅では、三津浜の項でご紹介する1か所と合わせ、木子七郎建築のうちの3つを見ることができました。

蛇口からみかんジュースが出る街、愛媛にやってきました!

最初に訪問したのは萬翠荘。松山城の一角に建てられた洋館です。

松山藩主であった久松家は当初「松平」を名乗っていましたが、明治時代以降は名前を「久松」としました。ここはその久松家の別邸で、現在は重要文化財に指定されています。

地上3階地下1階の鉄筋コンクリート造り。大正時代に建てられ、時の皇太子(後の昭和天皇)の宿泊所として使われました。

この日は毎年恒例の「バラ展」が開催中。朝から多くの人で賑わっていました。

建築家・木子七郎が残した建物。洋風建築で外観にも内装にも美しい装飾が施されています。

萬翠荘を建てる1年前、木子七郎は海外視察をしています。大きな経験を詰め込んだ建築となりました。コリント式の柱。

屋根は丸くうろこのように張られたスレート、銅板の出窓、外壁にはタイルが使われています。

アーチを多用し、ステンドグラスを使った優美なデザイン。色ガラス1枚の中にグラデーションがあるのが特徴です。木内真太郎がデザインした帆船がモチーフ。

壁画にも注目です。松山市出身の八木彩霞が描いた絵が2枚あります。洋画家の八木彩霞は「森永ミルクキャラメル」のパッケージデザインをしたことでも有名です。

毎年開催されるバラ展は品評会なども行われる一大イベント。クリームカラーの室内には良い香りが漂い、建物との相性もぴったりのエレガントな雰囲気でした。
洋館までの道も緑濃く美しいです。

入口には「坂の上の雲ミュージアム」もありますよ!
日本の都道府県庁の中でも歴史ある庁舎「愛媛県庁」。
市内に巡らされた路面電車に乗っていると街の中心である大街道へ向かう途中、「県庁前」電停を通ります。ここにあるのが緑色のドームを持った愛媛県庁本館。日本の都道府県庁舎の中では大阪、神奈川に続き3番目に古く、こちらも萬翠荘と同じく木子七郎の傑作です。
大理石や御影石などを使い上品にそして豪華に作られた県庁舎は、当時莫大な工事費用をつぎ込んで作られました。内部はアーチを多用し細密な意匠と技術を配した趣ある姿を今も留めています。白壁に覆われた建物は、戦中は迷彩色に塗りつぶすなどの工夫で守られてきました。松山の歴史を見続けてきた県庁舎は今も大切に使われており、まさに街の宝と言うべきシンボルとして存在感を放っています。

萬翠荘からも歩いて行ける愛媛県庁舎へ。ドームを中心に置き左右対称の気品ある本館。

三層アーチの入口。

よく見ると細かい装飾が施されています。この庁舎も木子七郎の建築です。

玄関正面ロビー。アーチに囲まれています。公衆電話ボックスの中には現代の公衆電話が置かれていました。

床面は大理石。よーく見ると化石を見つけることができますよ。

吹き抜けた大階段。この時は「進撃の巨人」とコラボ中でした。

階段正面には素晴らしい細工のステンドグラス。

愛媛県イメージアップキャラクター「みきゃん」がいっぱい!県庁内にある「みきゃんセンター」です。

ゆるキャラとしても絶大な人気を誇るみきゃんは愛媛県の特命副知事。ちゃんとお部屋もあるんです。
2階にある貴賓室。天皇皇后両陛下もお迎えしたという来客用の部屋です。

天井まで細工が施されています。庁舎全体に装飾がいきわたり、高価な建材がふんだんに使われています。当時のお金で102万円、今に換算すると100億円を軽く超えるほどの資金を投じて建設されたとのことです。

この日は使用中で内部を見られなかったドーム部分は「ドーム会議室」として日頃から使われているのだそうです。このドームがあることで、外観の印象がさらに強いものになっていますね。

時代を経ても大事に使われている庁舎。映画「世界の中心で、愛をさけぶ」のロケでも使われました。
築90年を迎え、日本の都道府県庁舎では3番目に古い建物です。
21もの文化財が詰まった松山城。お天気が良い日はリフトで登るのがオススメ。
松山城は標高132メートルの勝山山頂にあるお城で、当時のままの天守を残す「現存十二天守」のひとつです。城内には21棟もの重要文化財が残されており、城好きでなくとも一度は見ておきたい美しい城郭です。
三代目の城主となった松平氏は徳川家の血筋であったことから、城には徳川の紋であった「丸に三つ葉葵」、いわゆる葵の御紋が見られます。こちらは戦術に長けた城としても有名で、お城を見て当時の城攻めの様子を想像しながら登るのも楽しいです。
急な階段を這うように登ったご褒美は、天守閣からの市街地と海が一望できる絶景でした。
お次は松山城!現存十二天守のひとつ。

お城までは徒歩で登山も可能。しかしこの日はリフトで登ります。リフト登り口までは商店街になっていて、たくさんのお店が並んでいます。

途中、大人気の和菓子専門店「霧の森菓子工房松山店」にて霧の森大福を。甘さ控えめのあんことクリーム、抹茶の苦みが口の中で一体に!

朝から大人気で行列が絶えませんでした。1個から購入可能です。

さていよいよ天守閣目指して登城開始。「俳句ポスト」は市内のあちこちに置いてあります。正岡子規のふるさとということで、俳句が盛んなのだとか。お城を見て一句…という雅な楽しみ方も。

松山城の特徴のひとつ「登り石垣」。上から見るとほどんと木々に隠れてわかりません。

下から見ると少しわかります(写真右端)。二の丸や三の丸から本丸(山頂)までを防御する石垣です。

石垣好きも大満足!面を作り組み込んでいき、隙間を小さな石で埋めます。打ち込みはぎという工法です。

櫓には「石落とし」が見られます。登ろうにも石や鉄砲の玉がここから降ってきます。

出窓のように見えるのも石落とし。あちらこちらに戦術が散りばめられています。
高い石垣が張り巡らされており、城への道は入り組んだ作りになっています。直角に曲がらされたり、Uターンさせられたりと、城攻めしている気分を味わえます。
そしていよいよ天守です!

屋根には「丸に三つ葉葵」の紋。葵の御紋を配することを許されたお城です。

天守閣からの眺望です。市街地を見ることができる絶景です。方向によっては瀬戸内海まできれいに見えますよ。

敷地内には記念碑が建てられていました。松山藩当主であった「久松定謨」により松山市に城を寄付したことを記念し昭和30年に建立。寄付する際、城の維持費として4万円も贈られたということです。久松定謨は、前述の「萬翠荘」を建設した人でもあり、松山を代表する偉人ですね。

下りもリフトにて。見晴らしが良くて楽しいです。
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