2024年から発行される新一万円札の「顔」であり、2021年2月から放送されるNHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公ともなる渋沢栄一。金融・経済界で日本の礎となったことで有名ですが、あまり知られていない一面もあります。しかし、彼の偉業や軌跡をたどると、近代日本の歴史や現代にも脈々と受け継がれる日本文化を体感することができます。

写真提供:埼玉県深谷市

この記事では、渋沢栄一の生涯をたどりながら明治~令和に至る日本の歴史を感じる旅をご紹介しましょう。

【埼玉県編】渋沢栄一の基盤をつくった場所・深谷市

画像: 【埼玉県編】渋沢栄一の基盤をつくった場所・深谷市

東京から電車で1時間10分ほど。名産の「深谷ねぎ」や、イメージキャラクターの「ふっかちゃん」などで知られているのが、渋沢栄一生誕の地である埼玉県深谷市です。

1840年2月13日の誕生から23歳頃に京都に出奔するまで、渋沢栄一はこの深谷で家業の藍玉の製造・販売のほか、養蚕を手伝ったり、父・市郎右衛門、いとこの尾高惇忠のもとで学問に励んだりしながら日々を過ごしていました。

その後、欧州で見聞を広め大蔵省の一員として日本の国づくりに尽力することになる渋沢栄一の、その基盤を作ったともいえるこの深谷の地の軌跡を、まずはたどってみましょう。

1. 東京駅にそっくりな「深谷駅」。「実は深谷が元祖」と言われる理由とは

画像1: 1. 東京駅にそっくりな「深谷駅」。「実は深谷が元祖」と言われる理由とは

深谷市で最初に訪れる渋沢栄一ゆかりの場所が、ここJR深谷駅です。

画像2: 1. 東京駅にそっくりな「深谷駅」。「実は深谷が元祖」と言われる理由とは

それにしてもこの深谷駅、煉瓦(れんが)風に施されている外観といい、駅の雰囲気といい、見た目が東京駅にそっくりです。深谷駅が現在の外観になったのは1996年。確かに1914年に開業した東京駅のあとではあるものの、これには「ただの模倣だ」とは言い切れない、深い理由がありました。

画像3: 1. 東京駅にそっくりな「深谷駅」。「実は深谷が元祖」と言われる理由とは

深谷駅の歴史は深く、その開業は1883年と東京駅よりも約30年も前のこと。明治時代の日本は鉄道技術に力を入れており、東京・神奈川をはじめ、全国的に鉄道開通が計画され、急ピッチで開発が進みました。この発展によって物流や人の移動が活発になり、深谷駅周辺も発展していったのです。

画像4: 1. 東京駅にそっくりな「深谷駅」。「実は深谷が元祖」と言われる理由とは

そんななか、深谷の産業を支えていたもののひとつが煉瓦でした。1887年に東京で日本煉瓦製造株式会社(創業時:日本煉瓦製造会社)が設立され、深谷では1888年から工場の操業が開始。生産された煉瓦は、鉄道により東京に運ばれ、現在にも残るさまざまな建築物の資材として使用されました。東京駅に使われた煉瓦も、日本煉瓦製造株式会社で生産されたものです。

こうした縁があって、1996年に改築された深谷駅は、その歴史的経緯にちなんで東京駅を模して作られたというわけです。ある意味、深谷駅こそ元祖と言えるかもしれませんね。

あかね通り(旧日本煉瓦製造株式会社上敷免工場 専用鉄道線跡) 

画像: あかね通り(旧日本煉瓦製造株式会社上敷免工場 専用鉄道線跡)

深谷駅から片道約4km、旧日本煉瓦製造株式会社まで続く煉瓦の道のりが「あかね通り」(正式名称:旧日本煉瓦製造株式会社上敷免工場 専用鉄道線跡)です。かつては国内初の民間専用鉄道として、1895年から1975年頃まで使用されていました。

工場で製造された煉瓦はこの専用線を通って輸送され、迎賓館・東京駅など、現在でも残る多くの建造物に使用されています。

あかね通りの道のりには国重要文化財の「備前渠鉄橋」のほか、「旧深谷宿常夜燈」「福川鉄橋」など市指定文化財もあり、散歩するだけでその歴史を味わうことができます。

ふっかちゃんからくり時計

画像1: ふっかちゃんからくり時計

深谷駅付近には見どころスポットがもうひとつ。それが、駅北口にある「ふっかちゃんからくり時計」こと「渋沢栄一からくり時計」です。

この時計では、2010年に誕生し、2014年に開催された「ゆるキャラグランプリ2014」で全国2位に輝いた人気のゆるキャラ「ふっかちゃん」が、時計の下でくるくると回りながら、通り過ぎる人々に時間を教えてくれます。

画像2: ふっかちゃんからくり時計

毎時0分になると、ふっかちゃんの入れ替わりとして、なんと渋沢栄一の像が現れるのだとか。深谷駅付近を訪れたときには、キャラが偉人に代わる、ちょっと不思議な光景を動画におさめてみては?

深谷駅

住所埼玉県深谷市西島町3-1-8

2. 渋沢栄一が生まれ、帰郷の地として親しんだ場所。旧渋沢邸「中の家(なかんち)」

画像1: 写真提供:渋沢栄一記念館

写真提供:渋沢栄一記念館

深谷駅から北に向かい、小山川を越えた先。タクシーで20分ほどの場所にあるのが、旧渋沢邸「中の家」です。主屋・副屋に2つの門、4つの土蔵から成るこの屋敷は、渋沢家の住宅等として使用されていました。

画像2: 写真提供:渋沢栄一記念館

写真提供:渋沢栄一記念館

特に注目したいのが、天窓のある典型的な養蚕農家の形を残した建物の主屋。主屋の奥にある10畳の部屋は帰郷する栄一のために入念に作られており、実際に渋沢栄一は多忙の合間にも、この屋敷に帰郷したとの記録が残されています。東京の私邸は空襲によって焼失してしまっているため、中の家は渋沢栄一が親しく立ち寄ったなかで、現在も形を残している数少ない場所といえるでしょう。

1985年からは「学校法人青淵塾渋沢国際学園」の学校施設として使用され、多くの外国人留学生がこの場所で勉学に励みました。その後、2000年の同法人解散に伴い、深谷市に帰属しています。

渋沢栄一記念館等見学予約システムから事前予約をすれば、個人・団体での見学も可能。“近代日本経済の父”と呼ばれた人物の歴史のはじまりとなったこの場所に、足を運んでみてはいかがでしょうか。

旧渋沢邸「中の家(なかんち)」

住所埼玉県深谷市血洗島247-1
電話048-587-1100(渋沢栄一記念館)
開館時間9:00~17:00(入場は16:30まで)
休館日年末年始(12月29日~1月3日)
入館料無料
webhttp://www.city.fukaya.saitama.jp/shibusawa_eiichi/bunkaisan/1425343509929.html

3. 渋沢栄一のアンドロイドによる講義も受けられる。「渋沢栄一記念館」

画像3: 写真提供:渋沢栄一記念館

写真提供:渋沢栄一記念館

中の家を散策したあとは、徒歩で15分ほど離れた場所にある、「渋沢栄一記念館」へ。この記念館には、渋沢栄一の遺墨・写真など、数多くの作品が収蔵・展示されています。

画像4: 写真提供:渋沢栄一記念館

写真提供:渋沢栄一記念館

作品・資料のほか、多目的室では渋沢栄一の映像の視聴、講義室では渋沢栄一アンドロイドによる講義の見学も可能。500もの会社の設立・育成、約600もの社会公共事業、教育福祉の支援と民間外交に熱心に取り組んだ渋沢栄一の言葉は、現代の私たちの心にも、なにか響くものがあるかもしれません。

なお、令和3年2月16日からは大河ドラマの公開に伴い、新たに「渋沢栄一 青天を衝け 深谷大河ドラマ館」の開館が予定されています。大河ドラマで使用された衣装やセットの展示を見れば、よりドラマの世界に浸れることでしょう。開館の詳細については公式Twitterで随時発表されているので、こちらのチェックもお忘れなく。

渋沢栄一記念館

住所埼玉県深谷市下手計1204
電話048-587-1100
開館時間資料室 9:00~17:00
講義室(アンドロイド)9:30~16:00(最終講義は15:30~)
休館日年末年始(12月29日から1月3日)、臨時休館あり
入館料無料
webhttp://www.city.fukaya.saitama.jp/shibusawa_eiichi/kinenkan.html

4. 渋沢栄一の“人生の師”とも呼べる人が生まれた場所。「尾高惇忠(おだかじゅんちゅう)生家」

画像2: 写真提供:埼玉県深谷市

写真提供:埼玉県深谷市

渋沢栄一の人生に大きな影響を与えた人物たちの名所も見逃せません。後世に“藍香(尾高惇忠の諱)ありてこそ栄一あり”と言われたほど、渋沢栄一の人生に大きな影響を与えた人物が、渋沢栄一の従兄であり、学問の師であった尾高惇忠です。のちに富岡製糸場初代場長や第一国立銀行仙台支店長などを務めたことから、渋沢栄一と同様、実業家の1人として知られています。

この尾高惇忠生家は、惇忠の曽祖父が江戸時代後期に建てたもの。のちに渋沢栄一の妻になるちよや、惇忠の娘で、富岡製糸場伝習工女第一号となるゆうがこの家で育ちました。

地方の商家建築の趣を残す建物の構造にも引き込まれますが、この家で特に注目したいのが、2階。渋沢栄一とともに高崎城乗っ取り、横浜外国商館焼き討ち計画を謀議したといわれている部屋(非公開)があり、現在でも観光スポットのひとつとして多くの人々にその空気の重々しさを伝えています。

1888年に操業を始めた日本煉瓦製造株式会社の煉瓦で作られたといわれる土蔵も見どころです。

尾高惇忠(おだかじゅんちゅう)生家

住所埼玉県深谷市下手計236
電話048-587-1100(渋沢栄一記念館)
開館時間9:00~17:00
休館日年末年始(12月29日~1月3日)
入館料無料
webhttp://www.city.fukaya.saitama.jp/shibusawa_eiichi/bunkaisan/1425344439348.html

5. 渋沢栄一への敬愛が形になった「誠之堂(せいしどう)」。和洋折衷の構造様式や装飾も必見

画像3: 写真提供:埼玉県深谷市

写真提供:埼玉県深谷市

1896年から第一銀行の初代頭取を務めた渋沢栄一(注:栄一は、第一銀行になる前の第一国立銀行時から頭取を務めていた。営業満期により、1896年から第一銀行となった)。その第一銀行の行員たちから彼が敬愛されていたことがよく伝わるのが、「誠之堂」です。この建物は、なんと第一銀行行員が出資を募り建築したもの。

建築を担当したのは、当時、建築界の第一人者であった田辺淳吉で、現在でも大正建築の美術工芸的傾向を代表する作品として、高く評価され続けています。

ちなみに誠之堂という名前は、儒教の代表的な経典のひとつ「中庸」の一節「誠者天之道也、誠之者人之道也(誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり)」にちなみ、渋沢栄一自身がつけたものだそう。

入り口天井のハーフティンバーはイギリス・北ヨーロッパにみられる木造建築構造、暖炉脇の窓のステンドグラスのモチーフには中国・漢の時代の「画像石」の人物群を取り入れるなど、各所に施された和洋折衷の細やかな装飾たちを、ぜひじっくりと見てみてください。

誠之堂(せいしどう)

住所埼玉県深谷市起会110番地1
電話048-577-4501(深谷市文化振興課)
開館時間9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日年末年始
webhttp://www.city.fukaya.saitama.jp/kanko/kanko/seisido_seifutei/seisido/1391501093316.html

6.深谷を知り・深谷を食す。「渋沢栄一翁ふるさと館OAK」は“地元”を味わうのにぴったり

画像1: 6.深谷を知り・深谷を食す。「渋沢栄一翁ふるさと館OAK」は“地元”を味わうのにぴったり

渋沢栄一という人物の事績とともに、より深谷のことを知りたくなったなら「渋沢栄一翁ふるさと館OAK」へ。こちらは「渋沢栄一翁ふるさと館」というショップと、「シェアカフェ オーク」というカフェが併設された施設です。

画像2: 6.深谷を知り・深谷を食す。「渋沢栄一翁ふるさと館OAK」は“地元”を味わうのにぴったり

「渋沢栄一翁ふるさと館」では、深谷の情報発信とともに、地元商店街の自慢の一品や新鮮野菜などを販売。"街の駅”的なスペースで地元の雰囲気を感じながら、深谷の街の魅力を知ることができます。

画像: 左から「渋沢栄一翁だし醤油」、「渋沢栄一翁ぽんず」、「渋沢栄一翁万能つゆ」各440円(税込)

左から「渋沢栄一翁だし醤油」、「渋沢栄一翁ぽんず」、「渋沢栄一翁万能つゆ」各440円(税込)

画像: 「【EIICHI】キャンパス・ミディ・トート」2,860円(税込)

「【EIICHI】キャンパス・ミディ・トート」2,860円(税込)

画像: 「渋沢栄一クリアファイル」各198円(税込)

「渋沢栄一クリアファイル」各198円(税込)

店内では、渋沢栄一グッズの販売も。普段使いできるアイテムからお土産にぴったりなものまで、思わず手に取りたくなるグッズが満載です。深谷ゆかりのものを購入したいなら、こちらを訪れることをおすすめします。

画像3: 6.深谷を知り・深谷を食す。「渋沢栄一翁ふるさと館OAK」は“地元”を味わうのにぴったり

そして隣接する「シェアカフェ オーク」は、「将来カフェやお店をやりたい」という夢を持つ人たちを応援しながら、地域の人と観光客がつながる場として設立された場所。曜日ごとにお店が変わる、ユニークなカフェです。

画像: 〈月曜日担当〉あさみ珈琲店「ナポリタン」単品890円、ドリンクセット1,000円(税込)

〈月曜日担当〉あさみ珈琲店「ナポリタン」単品890円、ドリンクセット1,000円(税込)

ランチタイムやカフェタイムを中心に地元の方々が訪れ、店内では朗らかに店員さんとお客さんのコミュニケーションが交わされます。ここでなら、地元民だからこそ知るお話も聞くことができるかもしれません。

腹ごしらえとともに、渋沢栄一ゆかりの地に暮らす方々との会話を楽しんではいかがでしょうか。

渋沢栄一翁ふるさと館OAK

住所深谷市西島町2-18-20
電話048-514-2509 (代表)
開館時間10:00~17:00
休館日木曜日(シェアカフェのみ営業)
webhttps://www.instagram.com/oak_fukaya/

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