俳優として数多くの人気ドラマに出演後、突如活動休止し、現在はさまざまなイベントやプロジェクトのクリエイティブディレクターとして活躍する小橋賢児さん。数々のクリエイションを生み出す彼の人生の源泉には、いつも旅がありました。そんな小橋さんの旅の思い出や、旅することの意味について伺いました。

小橋さんの人生の分岐点はネパールの旅

画像: iStock.com/Olmoroz

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小橋さんが「僕の中で最初の分岐点になっている」と語るのが、26歳のときに訪れたネパールです。当時はまだドラマや映画に人気俳優として出演していた時期でした。俳優として順風満帆に見えましたが、小さなほころびがあったといいます。

「当時の僕は『俳優だからこうしなきゃいけない』『俳優だからこういうところに行っちゃいけない』と、未来の自分を守るためにその時の自分に嘘をついているという状態でした。そのまま30代になった自分を想像したとき、それなりの生活やポジションがあったとしても、本当にそれは自分なんだろうかと怖くなった。

そんな時、クリエイターの先輩と一緒に沖縄でキャンプをしたんです。満点の星空の下、先輩は子どもみたいな顔をして思いつくままにアイデアを語っていました。その半年後、『あの時話したことをゲームにしたんだ』と作品を渡された。クリエイターってすごいなと思いましたね。自然と会話しながら得たインスピレーションを形にできるんだ、と」(小橋賢児、以下同)

画像: iStock.com/Shoko Shimabukuro

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自分も知らない世界を見てインスピレーションを得たい。小橋さんは、そんな衝動を押さえきれず単身ネパールへ。ネパールをめざした理由は、「昔読んだ漫画に出てきたから」という思いつきのようなものでしたが、それが人生を左右するかけがえのない10日間の旅となったといいます。

「毎日、夕日や星空を見ながらトレッキングをしていました。その中で、自分の固定概念がどんどん削ぎ落とされるのと同時に、いろんなアイデアがわいてきて、心の声が降りてくるような感覚を味わいました。

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ある日、山から下りた後、たまたま同い年の青年と知り合って家に招待してもらったことがありました。彼は、3畳半くらいしかない家に奥さんと娘さんと一緒に住んでいて『頑張って働いているけれど、子どもを学校に行かせるお金がない』と明るく言うんです。

帰り道、彼のバイクの後ろに乗せてもらったとき、思わず嗚咽してしまいました。その時はなぜ泣いたのか自分でも意味がわからなかったけど、後から考えたら、彼の人間力を感じることで自分の人間力のなさを自覚し、劣等感を抱いて悔しくて泣いたのだと思います。彼は家族を守るために今を必死に生きている。僕は未来を守るために今をなおざりにして生きている。その違いに気づきました」

日本に帰国後、「このままじゃだめだ」と1年ほど悩み、とうとう俳優業を休業。その後、最初に向かった先はアメリカでした。

アメリカで経験したフェスから新しい自分が始まった

画像: iStock.com/NeoPhoto

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10か月間の語学留学。小橋さんは、本気で英語を勉強するため、日本人が比較的少ないボストンを留学先として選びました。そこで目標のひとつとしていた車でのアメリカ横断にチャレンジし、ゴールとしてたどり着いたマイアミで音楽フェス「ULTRA MUSIC FESTIVAL(ウルトラ・ミュージック・フェスティバル)」に出会いました。

「日本では“フェス”といえば若い人が集まるイメージがありますが、アメリカでは老若男女、いろんな国の人たちが音楽という共通言語を通じてつながるイベントなんです。こんな世界があるんだと感動して、新しい一歩のスタート地点のように感じました。

そこから世界中のフェスを回るようになったのですが、その時はディレクターになろうとは思っていませんでした。何者かになろうというよりは、何かをしたいという気持ち。いろいろなフェスを見たいと心の底から思ったんです」

画像: iStock.com/ Boogich

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トルコの「皆既日食フェス」や、アメリカのネバダ州の「Burning Man(バーニングマン)」、ベルギーの「Tomorrowland(トゥモローランド)」⋯⋯さまざまなフェスを巡ったそうです。その経験が縁をつなぎ、韓国で「ULTRA KOREA」の立ち上げに参画。2014年からは、クリエイティブディレクターとして「ULTRA JAPAN(ウルトラ・ジャパン)」をスタートさせました。しかし、「ULTRA JAPAN」がイベントとして成功して大きくなったとき、またもや迷いが生じるようになったそうです。

成功をおさめた36歳、バックパック1つでインドに3か月

画像1: 成功をおさめた36歳、バックパック1つでインドに3か月

2015年末、36歳になった小橋さんが訪れたのはインドでした。それまでにもインドへは2度ほど旅したことがあったそうですが、今度はたった1人で3か月の滞在です。経営する会社も順調、大きなイベントを次々に成功させている小橋さんが、バックパックに寝袋やインスタントしじみ汁を詰めてインドへ――。

「体のあちこちに現金20万円分をしのばせて『これだけで3か月暮らす』と決めてやりくりしました。インドでは自分の常識が通用しません。路上にいる少年は道を知らないのに道を教えるし、列車は何時間も平気で遅れる。イライラすることがいっぱいある。

そんなとき、ふと、自分の中の常識や固定概念がイライラをつくっているのではないかという考えが浮かびました。そこで、自分の常識を疑ってみたらどうか、起きていることを全部楽しんでみたらどうかと、思考実験をしてみたんです。

画像2: 成功をおさめた36歳、バックパック1つでインドに3か月

列車が10時間来ないということがあったのですが、そこでも、ただ待っているのではなくもう一度元いた街に戻ってみるか、と考えて戻ってみました。すると、4年に1度しか開催されないインド最大の祭りに行き当たったんです。イライラして立ち止まるのではなくて、次の行動を起こしたからこそ祭りを見ることができた。自分の意識次第で、その先に出会う現象が変わってくるんだと思いました」

画像3: 成功をおさめた36歳、バックパック1つでインドに3か月

そんなインドの旅でもっとも印象的だった場所は、聖地バラナシ。ガンジス川で、生活している人、泳いでいる人、船で渡っている人、燃やされて死んでいく人⋯生と死のすべてを目の当たりにし、人生を考えさせられたそうです。

大自然の秘境にあるホテルからインスピレーションを受けた

こうして節目節目に旅に出て、自分の人生を振り返っては新しい自分と出会ってきた小橋さん。今、最も思い入れが深い場所は、2020年1月に滞在したインドネシアのスンバ島にある「ニヒ スンバ」というホテル。

画像1: 写真提供:ザ・リーディングホテルズ・オブ・ザ・ワールド

写真提供:ザ・リーディングホテルズ・オブ・ザ・ワールド

スンバ島はバリ島から約1時間。そこからニヒ スンバまではさらに車で約90分かかります。そんな秘境にも関わらず、アメリカの旅行雑誌『Travel+Leisure』で2016年、2017年と2年連続で『No.1Hotel in the World』、世界一のホテルに選ばれているのです。

「このホテルは、島民との共生をコンセプトに掲げているんです。島民は宿泊客に島ならではの体験を提供し、ホテルは収益の一部を島民の疫病治療や学校建設に役立てているそうです。島の中でお金がうまく循環しているんです。

また、『ネクストラグジュアリー』をテーマにしており、ただ高級なだけの20世紀型ラグジュアリーではなく、偶発的に起きる体験こそが次のラグジュアリーだと謳っているところも特徴的でした。たとえば、空港からホテルまでの90分、何もない。大自然だけ。普通のワゴンで行ったら寝てしまうところですが、オープンエアのジープが迎えに来てくれる。そうすると道中がアドベンチャーになるんです。

画像2: 写真提供:ザ・リーディングホテルズ・オブ・ザ・ワールド

写真提供:ザ・リーディングホテルズ・オブ・ザ・ワールド

ホテル内のスパへ行くにも、道中で2時間ほどのトレッキングをしてから。突然天気が変わったり、動物に出会ったりといった体験を経て絶景のスパにたどり着くんです。100人が行ったら100人違う体験ができる。こうしたホテルで過ごすことは、人間性の回復にも繋がると思っています。またぜひ行きたいですね」

小橋さんにとってそのホテルは、自分自身の回復のためだけでなくアイデアの宝庫でもあったようです。将来的にはこうした場のプロデュースも視野に入れているとか。

「新型コロナウイルスの影響で海外に行けない状況もあり、今は国内に目を向けています。日本の自然もハンパない!ぜひ人が元気になる、すなわち“元の気”に戻れるような場所をつくっていきたいと思っています」

ニヒ・スンバ

住所Desa Hobawawi, Kecamatan Wanukaka, Sumba, 87272 Indonesia
webhttps://jp.lhw.com/hotel/Nihi-Sumba-Sumba-Indonesia
問い合わせ先ザ・リーディングホテルズ・オブ・ザ・ワールド 
0120-086-230(フリーダイヤル)

ゴールは変わってもいい、それくらいの余裕を

画像: ゴールは変わってもいい、それくらいの余裕を

仕事やプライベートでこれまで数え切れないほどの国々を訪れ、例年であれば1年の半分ほどを海外で過ごしているという小橋さん。今後行ってみたい場所を聞くと、「ベタですが、ペルーのマチュピチュに行ってみたいです」とのこと。旅への思いは尽きません。

「僕にとって旅は本当の自分に戻れるホーム。日常の中では他人に合わせていたり、世の中の常識に飲まれていたりしますが、それが自分だと思いがち。でも、旅、特に一人旅では、お父さんの顔、社長の顔、クリエイティブディレクターの顔ではなくなります。対外的にどう見られているかという意識が一切なくなって、本当の自分でいられる気がするんです。

それに、自分の常識が通用しない場所で知らない人たちに囲まれているので、少しでも情報を得よう、危険な目に遭わないようにしようと五感や直感を働かせる。そのときの自分が『本当の自分』という感じがするんです。だから、『最近の自分はなにか違うな』と感じたときは旅に出るようにしています。

行動は誰でもできる錬金術だと思っています。頭で考えているだけでは、想像していなかったものとの出会いや新しい自分との出会いは得られません。遠くにいくだけが旅ではなく、近くで自分なりの旅をしてみることが第一歩になるはず。スケジュールをガチガチに決めすぎず、出会いによってゴールを変えてもいいくらいの余裕があるほうが、旅の醍醐味が味わえると思います」

迷って悩んで閉じこもりがちなときこそ、思い切って旅へ。その一歩が新たな扉を開けることもある。小橋さんの経験は、旅の可能性を示しているようです。

※クレジットの無い写真はすべて小橋賢児さん提供

画像2: 旅こそ本当の自分に戻れるホーム。小橋賢児さんが旅を続ける理由

小橋賢児

The Human Miracle株式会社 代表取締役/クリエイティブディレクター

1979年東京都生まれ。88年に俳優としてデビューし、NHK朝の連続テレビ小説『ちゅらさん』など数多くの人気ドラマに出演。2007年に芸能活動を休止後、世界中を旅しながらインスパイアを受け映画やイベント製作を始め、『ULTRA JAPAN』のクリエイティブディレクターや『STAR ISLAND』の総合プロデューサーを歴任。500機のドローンを使用した夜空のスペクタルショー『CONTACT』はJACEイベントアワードにて最優秀賞の経済産業大臣賞を受賞。キッズパークPuChuのプロデュースや、世界規模のイベント・都市開発などの企画運営にも携わる。

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画像3: 旅こそ本当の自分に戻れるホーム。小橋賢児さんが旅を続ける理由

PEOPLE(インタビュー連載)

OnTrip JAL 編集部スタッフが、いま話を聞きたいあの人にインタビュー。旅行にまつわるストーリーをお届けします。

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