熊本県菊池市 歴史と湧水を巡る旅
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西村愛のゴーゴートリップ

熊本県菊池市 歴史と湧水を巡る旅

2018.12.25

菊池市といえば中世に華々しい活躍をした「菊池一族」がいた街です。今回の旅では菊池の街の各所にある歴史的なスポットを見て回りました。写真多めでお送りします。

九州統一を果たした菊池一族。日本の菊池さん、菊地さんのルーツは肥後にあり。

  • 菊池市市民広場に建つ第15代当主菊池武光の騎馬像。騎馬像としては日本一の高さです。

  • 凛々しい顔立ち、迫力ある姿の銅像は菊池市のシンボルにもなっています。

  • 右手に持つ軍配は、九州統一を図った際懐良親王が指揮する時に使ったものを表しており、現在、その軍配扇は市内にある「北宮阿蘇神社」に代々伝わる社宝として残されています。

  • 菊池一族の菩提寺となっている臨済宗「熊耳山正願寺」。1344年に建立の由緒あるお寺。

  • 当時は何十ものお堂が建ち並んでいたと言われています。境内奥へと回り込みます。

  • 菊池武光の墓碑、墓標である巨木があります。

  • 遠くから見た方がその巨大さがわかる、武光が埋葬された場所に植えられたと言われる樟。樹齢600年とも言われ、圧倒的な存在感を放っています。

  • 武光公の墓碑。宗傳次が私財を使い建てた碑。宗傳次の記念碑は菊池神社の境内に。

  • 亀の形をした石は伝説の亀趺(きふ)という動物。全国各地で見られるものです。

  • 少し離れたお墓の中に16代菊池武政の墓碑もあります。

  • 市内にある天台宗「東福寺」には菊池一族12代目までのお墓があります。

  • お墓や史跡が市内に点在しています。「菊池グランドホテル」の敷地内には22代当主能運(よしゆき)の墓所がありました。「菊池グランドホテル」は、もともと正願寺の一部でした。

  • 21代重朝(しげとも)が1472年、日本で最初に建てたと言われる孔子堂。

  • 孔子堂跡の墓碑のみが残っています。孔子堂を建てることにより家臣に対する学問の奨励、儒学の普及を図りました。菊池の文化度の高さと学問の広がりを感じさせるスポットです。

  • 菊池氏の乳母の墓と伝えられる「乳母が墓」。観光協会や市のマップ片手に散策すると史跡巡りが楽しめます。

朝廷が置いた九州の行政機関「大宰府」の高官であった藤原則隆がこの地にやってきて、その氏を地名であった「菊池」へと変え、現在の菊池市を拠点として450年、24代にわたり活躍したのが菊池一族です。
菊池の名を有名にしたのは10代武房で、博多へ出陣し蒙古襲来(元寇)に参戦し活躍しました。また13代武重の時には「寄合衆内談の事」という三か条を作りました。これは日本で最も古い誓いの書(血判状)であり、その後明治天皇が示した「五箇条のご誓文」にも影響を与えました。15代武光の時代になり、菊池氏は最も勢力を拡大します。時は南北朝時代、後醍醐天皇の皇子であった懐良(かねなが)親王は肥後国隈府(現・菊池市)を拠点に武光と共に激闘を勝ち抜き九州統一を果たし、菊池一族は九州の歴史に鮮やかな一端を残しました。
その後菊池一族は衰退していきますが戦国乱世の時代、数々の勝利を収めた菊池氏の足跡は今も市内に数多く残されています。実は数多くの菊池市には菊池姓が少なく、菊池氏の末裔は全国に散らばり「菊地」などに改姓していったと言われています。その中で最も有名なのが西郷どん=「西郷隆盛」です。西郷隆盛はまたの名を「菊池源吾」と名乗っていました。子供たちにも菊次郎、菊草など「菊」の字を付けました。
もしかしてアナタのお隣の「きくちさん」も、菊池一族かもしれません。

  • 菊池市市民広場に建つ第15代当主菊池武光の騎馬像。騎馬像としては日本一の高さです。

  • 凛々しい顔立ち、迫力ある姿の銅像は菊池市のシンボルにもなっています。

  • 右手に持つ軍配は、九州統一を図った際懐良親王が指揮する時に使ったものを表しており、現在、その軍配扇は市内にある「北宮阿蘇神社」に代々伝わる社宝として残されています。

  • 菊池一族の菩提寺となっている臨済宗「熊耳山正願寺」。1344年に建立の由緒あるお寺。

  • 当時は何十ものお堂が建ち並んでいたと言われています。境内奥へと回り込みます。

  • 菊池武光の墓碑、墓標である巨木があります。

  • 遠くから見た方がその巨大さがわかる、武光が埋葬された場所に植えられたと言われる樟。樹齢600年とも言われ、圧倒的な存在感を放っています。

  • 武光公の墓碑。宗傳次が私財を使い建てた碑。宗傳次の記念碑は菊池神社の境内に。

  • 亀の形をした石は伝説の亀趺(きふ)という動物。全国各地で見られるものです。

  • 少し離れたお墓の中に16代菊池武政の墓碑もあります。

  • 市内にある天台宗「東福寺」には菊池一族12代目までのお墓があります。

  • お墓や史跡が市内に点在しています。「菊池グランドホテル」の敷地内には22代当主能運(よしゆき)の墓所がありました。「菊池グランドホテル」は、もともと正願寺の一部でした。

  • 21代重朝(しげとも)が1472年、日本で最初に建てたと言われる孔子堂。

  • 孔子堂跡の墓碑のみが残っています。孔子堂を建てることにより家臣に対する学問の奨励、儒学の普及を図りました。菊池の文化度の高さと学問の広がりを感じさせるスポットです。

  • 菊池氏の乳母の墓と伝えられる「乳母が墓」。観光協会や市のマップ片手に散策すると史跡巡りが楽しめます。

明治天皇により建てられた厳かで格式ある社「菊池神社」。

  • 菊池神社へやってきました。ここにはかつて菊池氏の拠点「守山城」がありました。

  • ここは桜の名所としても有名です。

  • 12代武時像がありました。武時は「正願寺丸宝の松風」の包みにも描かれていた「袖ケ浦の別れ」というエピソードを持ちます。討死を覚悟した武時は、息子である13代武重に対し今生の別れを言い渡しました。後世まで伝わる場面です。

  • 「菊池神社」の拝殿。主祭神は前述の袖ケ浦の別れをした12代武時、息子13代武重、そして15代武光です。そのほか26柱が祀られています。

  • 菊池神社本殿。建物は比較的新しく、明治時代に明治天皇の勅命により創建されました。

  • 楼門横の青もみじがとても美しかった!ほかにも季節になると桜、つつじの名所として市民に愛されている神社です。

  • 菊池家らしく菊花紋も見えました。

  • 菊池氏の紋は「並び鷹の羽」で、こちらが神紋です。

  • 摂社「城山神社」。菊池一族の武房と重朝が祀られています。

  • 城山神社の奥には鏡がありました。

  • 絵馬もありますし、

  • おみくじも売っています。

  • 市内が一望できる場所でもあります。

  • 四季折々の楽しみ方ができる癒しの場所。

  • とても静かで神聖な空気に包まれました。

  • ご覧の通りの山の上にありますから、ちょっと階段が大変ですが…。

  • 菊池へ行ったら一度は登ってみてください!

城址には「菊池神社」が建てられ、一族が祀られています。「菊池神社」からは市内が一望でき、静かな境内で厳かな雰囲気を味わうことが出来ます。
「菊池神社」は明治時代になり、天皇家に対して功績を残した菊池一族を祀るために建てられた神社です。よって祀られている神様は菊池一族です。
「境内の東側にある摂社」である「城山神社」も同様で、菊池一族が祀られています。
山城であった守山城の跡地に建てられており、市内の最も中心的な場所にあります。そして桜の名所としても親しまれており、数多くの桜の木を見かけました。春のお出かけにも良さそうです!

  • 菊池神社へやってきました。ここにはかつて菊池氏の拠点「守山城」がありました。

  • ここは桜の名所としても有名です。

  • 12代武時像がありました。武時は「正願寺丸宝の松風」の包みにも描かれていた「袖ケ浦の別れ」というエピソードを持ちます。討死を覚悟した武時は、息子である13代武重に対し今生の別れを言い渡しました。後世まで伝わる場面です。

  • 「菊池神社」の拝殿。主祭神は前述の袖ケ浦の別れをした12代武時、息子13代武重、そして15代武光です。そのほか26柱が祀られています。

  • 菊池神社本殿。建物は比較的新しく、明治時代に明治天皇の勅命により創建されました。

  • 楼門横の青もみじがとても美しかった!ほかにも季節になると桜、つつじの名所として市民に愛されている神社です。

  • 菊池家らしく菊花紋も見えました。

  • 菊池氏の紋は「並び鷹の羽」で、こちらが神紋です。

  • 摂社「城山神社」。菊池一族の武房と重朝が祀られています。

  • 城山神社の奥には鏡がありました。

  • 絵馬もありますし、

  • おみくじも売っています。

  • 市内が一望できる場所でもあります。

  • 四季折々の楽しみ方ができる癒しの場所。

  • とても静かで神聖な空気に包まれました。

  • ご覧の通りの山の上にありますから、ちょっと階段が大変ですが…。

  • 菊池へ行ったら一度は登ってみてください!

菊池には歴史的な観光スポットがいっぱい!「旧高木邸」、「将軍木」、「北宮阿蘇神社」。

  • 「御所通り」は懐良親王の御所がある通りであることから名付けられました。

  • 高木邸。大正時代に建てられていて現在も病院として使われています。

  • 凝った形の屋根にはドーマー窓。国の登録有形文化財に指定されています。

  • よく見ると細かいところに装飾がなされ、それらが今も保存され傷みもなく残されていることに驚きます。

  • 診察室の天井は檜を使った格天井。窓枠やガラスのはめ方なども凝っています。

  • 待合室も艶のある経年美を感じさせる天井でした。(許可をいただいて撮影しています)

  • お隣にある旧松倉邸にもお邪魔しました。こちらも高木邸が所有していた建物で1923年築。普段イベントスペースなどとして、貸出しが行われているそうです。

  • 玄関タイル。

  • もともとは料亭であったとのことで、設えが大変しっかりしています。

  • 1階部分。採光するために造られた細い桟(さん)を組んだ欄間。

  • 2階の床の間。床柱には黒柿など、書院欄間には立派な富士山が彫られています。

  • ふっくらと立体的な松の欄間も素晴らしかったです。

  • 高木家は現在25代目。旧松倉邸前にある「わいふ一番館」に建てられた銅像は「高木元右衛門」。新選組が襲撃した池田屋事件で生き残った人物で、尊王攘夷派のひとりです。

  • 将軍木と祠。懐良親王お手植え、樹齢600年とも650年とも言われる椋の木。菊池高校に沿うように大きい枝を四方に伸ばしています。一年に一度、この向かい側で行われる松囃子能を奉納する日にここで神事が行われます。

  • 松囃子能が行われる日はこの椋の木を将軍(懐良親王)に見立て、木から能場までの間には人が立ち入らないように制限されます。将軍を敬う気持ちでとても大事にされていることが良くわかる、素晴らしい成長を遂げた巨木です。

  • 菊池松囃子能場。能が行われる10月13日以外は中を見ることができません。松囃子能は懐良親王のために始まったもので、当時そのままのスタイルを留めています。能の舞手である「シテ」は世襲され、菊池に脈々と伝え残されています。

  • 菊池にあるもうひとつのお宮「北宮阿蘇神社」へも朝の散歩がてら行ってきました。

  • こちらの方が菊池神社より歴史はずっと古く、菊池17代武朝によって阿蘇神が勧請されたと言われています。

  • 鳥居から見ると目の前に流れる菊池川に参道がつながっているようで、昔は船で参拝に来ていたのかな…などと想像が膨らみます。石の鳥居は2016年の震災で倒れてしまったとのことですが、現在修復に向けて動いているということです。

  • 拝殿。入母屋造り。

  • こちらの神紋は「丸に右違い鷹の羽」で、本家の阿蘇神社とは左右の重なりが違うようです。

  • 本殿。流造は菊池神社と同じ。社宝として「征西将軍軍配扇」が伝えられています。

  • 川岸に佇む古社で、雰囲気は抜群です。静かな朝のお参りでさらに良い‘気’をいただけました。

御所通りと呼ばれる通りには多くの史跡が残されています。大正時代に建てられた洋館で現在も病院として使われている「旧高木邸」や、その並びの「旧松倉邸」は粋な意匠をふんだんに散りばめた価値ある建築物。
またそこから100メートルと離れていない場所には将軍お手植えの椋「将軍木」と将軍=懐良親王を楽しませるために始まった松囃子能の能場などが続きます。
さらに、「北宮阿蘇神社」は菊池一族が勧請した神社として古い歴史を誇ります。
川沿いに建てられた神社で、神聖で気持ちを落ち着ける雰囲気を持ち、精神の浄化を感じさせるような空気感がありました。

  • 「御所通り」は懐良親王の御所がある通りであることから名付けられました。

  • 高木邸。大正時代に建てられていて現在も病院として使われています。

  • 凝った形の屋根にはドーマー窓。国の登録有形文化財に指定されています。

  • よく見ると細かいところに装飾がなされ、それらが今も保存され傷みもなく残されていることに驚きます。

  • 診察室の天井は檜を使った格天井。窓枠やガラスのはめ方なども凝っています。

  • 待合室も艶のある経年美を感じさせる天井でした。(許可をいただいて撮影しています)

  • お隣にある旧松倉邸にもお邪魔しました。こちらも高木邸が所有していた建物で1923年築。普段イベントスペースなどとして、貸出しが行われているそうです。

  • 玄関タイル。

  • もともとは料亭であったとのことで、設えが大変しっかりしています。

  • 1階部分。採光するために造られた細い桟(さん)を組んだ欄間。

  • 2階の床の間。床柱には黒柿など、書院欄間には立派な富士山が彫られています。

  • ふっくらと立体的な松の欄間も素晴らしかったです。

  • 高木家は現在25代目。旧松倉邸前にある「わいふ一番館」に建てられた銅像は「高木元右衛門」。新選組が襲撃した池田屋事件で生き残った人物で、尊王攘夷派のひとりです。

  • 将軍木と祠。懐良親王お手植え、樹齢600年とも650年とも言われる椋の木。菊池高校に沿うように大きい枝を四方に伸ばしています。一年に一度、この向かい側で行われる松囃子能を奉納する日にここで神事が行われます。

  • 松囃子能が行われる日はこの椋の木を将軍(懐良親王)に見立て、木から能場までの間には人が立ち入らないように制限されます。将軍を敬う気持ちでとても大事にされていることが良くわかる、素晴らしい成長を遂げた巨木です。

  • 菊池松囃子能場。能が行われる10月13日以外は中を見ることができません。松囃子能は懐良親王のために始まったもので、当時そのままのスタイルを留めています。能の舞手である「シテ」は世襲され、菊池に脈々と伝え残されています。

  • 菊池にあるもうひとつのお宮「北宮阿蘇神社」へも朝の散歩がてら行ってきました。

  • こちらの方が菊池神社より歴史はずっと古く、菊池17代武朝によって阿蘇神が勧請されたと言われています。

  • 鳥居から見ると目の前に流れる菊池川に参道がつながっているようで、昔は船で参拝に来ていたのかな…などと想像が膨らみます。石の鳥居は2016年の震災で倒れてしまったとのことですが、現在修復に向けて動いているということです。

  • 拝殿。入母屋造り。

  • こちらの神紋は「丸に右違い鷹の羽」で、本家の阿蘇神社とは左右の重なりが違うようです。

  • 本殿。流造は菊池神社と同じ。社宝として「征西将軍軍配扇」が伝えられています。

  • 川岸に佇む古社で、雰囲気は抜群です。静かな朝のお参りでさらに良い‘気’をいただけました。

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